これは良いことでも悪いことでもないことです。
PRプランニング全体の中でのウェブPRの位置づけは、麻雀におけるドラ牌や、大富豪におけるジョーカーのような位置づけではなく、ジャンケンにおけるグー(あるいはパーやチョキ)のような位置づけだということです。
配牌にドラ牌がなくても麻雀を打つことはできます。
持ち札にジョーカーがなくても大富豪というゲームで勝利することは出来るでしょう。
しかしながらグーを出せない状態でジャンケンをすることは不可能です。
グーが出せないという条件下では、ジャンケンそのものが成り立ちません。
同様にウェブPR抜きのPRプランニングは成り立ちません。
これは良いとか悪いとかいう問題ではありません。
2010年09月28日
2010年09月04日
思い込み仮説「なぜ会社のエライ人はソーシャルメディアを避けようとするのか!?」
ちょっとした思い込み仮説。
テーマは「なぜ会社のエライ人はソーシャルメディアを避けようとするのか!?」。
なんとなくの感触では、ソーシャルメディアを避けるのはエライ人の中でも(ご存知のようにエライ人の中にも序列があってそんなにエラくないエライ人とマジエライ人がいます)、下から数えたほうが早いようなエライ人のような気がしています。一番エライくらいの人はあんまりソーシャルメディアを避けようとはしない、、、、かな?
で、そういうエライ人がソーシャルメディアを避ける理由として、たいていの場合「リスクがある」ということを挙げられるのですが、どういうリスクかをはっきり認識していらっしゃる方はおられないような気がします。
みなさん漠然とリスクがある、とおっしゃいます。
ではそのリスクとはなんなのか?について思い込み仮説。
自分がエラくなくなることのリスクではないか!?
ツイッタなんかで、ときどき知っている人がその人の知り合いであろう人にえらくぞんざいな言葉遣いでおちょくられているのを見ることがあります。
あとで知っている人に聞くと「あれは最近ツイッタをはじめた会社のエライ人なのだが、メールとの違いがわかってなくて、ああいうぞんざいな言葉遣いで投稿しているのだ」というような説明をされたりします。
メールでやるぶんにはそういうぞんざいな言葉遣いでもいいのかもしれませんが、ソーシャルメディアは他のいろんな人が見ており、そういう人から見るとそのエライ人は「ずいぶん失礼な奴」に見えてしまいます。
そのため、ソーシャルメディアでは他のコミュニティでの上下関係(会社の上司・部下とかの関係)をなるべく持ち込まず、例え仕事上の部下であっても丁寧に対応することが求められます。
が、ひょっとしたらエライ人はこれができないんじゃないのか!?
というのが今回の思い込み仮説です。
エライ人の中には本当に偉いからエライ人をやっているという人もたくさんいるのですが、逆にその人がエライ人である理由などどこにもないという人がエライ人をやっているというケースもままあります。
そういうタイプのエライ人は、犬が電柱におしっこをするのと同様、自身がエライ人であるという記号をどこかに記しておかねばならなくなるのですが、それが「部下に対するぞんざいな態度」とかであるというケースも多いでしょう。
ここにおいてエライ人である理由が希薄なエライ人にとって、ソーシャルメディアはリスクになります。
ソーシャルメディアではいつもやっている「部下へのぞんざいな態度」というエライ人マーキングができません。もしやろうものなら先程挙げたように自身の好感度はダダ下がりし、「なにこれ荒らし?」みたいな扱いになってしまうのです。
そういう理由でエライ人はソーシャルメディアを避けるようになるのではないか、というのが今回の思い込み仮説です。
どうですか!?このエライ人への悪意に満ちたエントリ!!
でも僕がこのエントリで本当に言いたいのは企業のソーシャルメディアコミュニケーションのことだったりします。
テーマは「なぜ会社のエライ人はソーシャルメディアを避けようとするのか!?」。
なんとなくの感触では、ソーシャルメディアを避けるのはエライ人の中でも(ご存知のようにエライ人の中にも序列があってそんなにエラくないエライ人とマジエライ人がいます)、下から数えたほうが早いようなエライ人のような気がしています。一番エライくらいの人はあんまりソーシャルメディアを避けようとはしない、、、、かな?
で、そういうエライ人がソーシャルメディアを避ける理由として、たいていの場合「リスクがある」ということを挙げられるのですが、どういうリスクかをはっきり認識していらっしゃる方はおられないような気がします。
みなさん漠然とリスクがある、とおっしゃいます。
ではそのリスクとはなんなのか?について思い込み仮説。
自分がエラくなくなることのリスクではないか!?
ツイッタなんかで、ときどき知っている人がその人の知り合いであろう人にえらくぞんざいな言葉遣いでおちょくられているのを見ることがあります。
あとで知っている人に聞くと「あれは最近ツイッタをはじめた会社のエライ人なのだが、メールとの違いがわかってなくて、ああいうぞんざいな言葉遣いで投稿しているのだ」というような説明をされたりします。
メールでやるぶんにはそういうぞんざいな言葉遣いでもいいのかもしれませんが、ソーシャルメディアは他のいろんな人が見ており、そういう人から見るとそのエライ人は「ずいぶん失礼な奴」に見えてしまいます。
そのため、ソーシャルメディアでは他のコミュニティでの上下関係(会社の上司・部下とかの関係)をなるべく持ち込まず、例え仕事上の部下であっても丁寧に対応することが求められます。
が、ひょっとしたらエライ人はこれができないんじゃないのか!?
というのが今回の思い込み仮説です。
エライ人の中には本当に偉いからエライ人をやっているという人もたくさんいるのですが、逆にその人がエライ人である理由などどこにもないという人がエライ人をやっているというケースもままあります。
そういうタイプのエライ人は、犬が電柱におしっこをするのと同様、自身がエライ人であるという記号をどこかに記しておかねばならなくなるのですが、それが「部下に対するぞんざいな態度」とかであるというケースも多いでしょう。
ここにおいてエライ人である理由が希薄なエライ人にとって、ソーシャルメディアはリスクになります。
ソーシャルメディアではいつもやっている「部下へのぞんざいな態度」というエライ人マーキングができません。もしやろうものなら先程挙げたように自身の好感度はダダ下がりし、「なにこれ荒らし?」みたいな扱いになってしまうのです。
そういう理由でエライ人はソーシャルメディアを避けるようになるのではないか、というのが今回の思い込み仮説です。
どうですか!?このエライ人への悪意に満ちたエントリ!!
でも僕がこのエントリで本当に言いたいのは企業のソーシャルメディアコミュニケーションのことだったりします。
2010年08月11日
覚悟と勇気だけで立候補できるか。―河野太郎氏のブログエントリに対する反論
河野太郎氏がご自身のブログで、
河野太郎公式サイト | 民主主義の権利と義務
http://www.taro.org/2010/07/post-785.php
と言っておられます。
これは正論。まったくの正論。
ですが、反論したいです。
×を付けるタイプの選挙が良いと言ったひとり(http://bmidvar.paslog.jp/article/1481425.html)として。
まず、河野氏は選挙に立候補しなかった有権者を「覚悟と勇気がない」としていますが、はたして今の日本の選挙で立候補に必要なのは覚悟と勇気だけであるかどうか、というところに大いに疑問があります。
選挙に立候補しない有権者のほとんどは覚悟と勇気以外の理由(覚悟と勇気以前の理由)で立候補しないと思うのですがどうでしょうか?
河野氏は、有権者が候補者に対して×をつけることを、選挙に立候補する覚悟と勇気がない人間が覚悟と勇気を持った人間に対してリスクも取らずに悪口を言う行為だ、としていますが、僕は必ずしもそうは言えないと思います。
立候補するだけの覚悟と勇気を持った有権者は山ほどいて、それでもなお立候補できない理由があるのだと思います。
なぜ今の選挙に立候補するのは政治家の子息や、市民活動をプロフェッショナル的に行なっている人や、宗教団体の幹部や、有名なスポーツ選手や、タレントや、その他大金持ちばかりなのでしょうか?
こういう人が立候補しやすく、そうでない人が立候補しにくいという状況が(覚悟と勇気以外の部分で)あるのではないでしょうか?
覚悟と勇気さえあれば立候補できるような立場にある人(政治家の子息や市民活動の人やタレントなど)だけが国民であり有権者である、というのであれば河野氏の言うこともわかるのですが・・・。
これは河野氏のことではなく、一般的な政治家の方についてのことなのですが、国民の生活の厳しさを理解していない人が多すぎです。
国民は政治家の方たちが考えているほど裕福ではありませんし、将来への不安をもっていないわけではない。
子供があした食べる分を稼ぐのに血反吐を吐きながら頑張っている国民に対して、立候補しないのは覚悟と勇気がないからだなんてよく言えたものだと思います。
選挙活動をしている間、そしてその人が当選しなかったとき、その子どもはどうやって食べていくのでしょうか?
政治家の方がこのようなことを一向に理解しようとせず、また一向に理解しようとしなくても政治家という仕事が務まるのが不思議でしょうがないのですが、まあ政治家というのはそういう職業なのでしょう。
選挙の開票直後に投稿されたウノウ山田さんのツイート(http://twitter.com/suadd/status/18275366785)
が心にしみ入ります。
※で、このエントリを投稿して、河野氏にトラックバックを投げようとしたのですが、なんと河野氏のブログはトラックバックを受け付けてないのね。
まあ僕が河野氏のような著名な政治家だったとしたら同じようにするかもしれませんが、なんか民主主義的じゃないなあとも思います。
これが今の日本の“民主主義”なんだろうな。
なぜかこの選挙中、メールで、候補者に×をつける投票も認めようとか、入れる人がいないから白票を入れるので白票の数も数えて云々という意見が多く寄せられた。
民主主義はそんなに甘いものではない。立候補している候補者はろくでもない、気に入らない、だから×、あるいは白票を入れよう、自分は安全なところで何もしない。そんな都合のいいことが通るわけはない。
民主主義には権利と義務がつきまとう。権利は選挙権であり、被選挙権だ。そして、義務も全く同様に選挙権であり、被選挙権だ。
手を挙げようとしている人間がろくでもないというならば、彼らに×をつけて非難するのではなく、自分が手を挙げる。それが民主主義だ。自分が手を挙げる覚悟も勇気もなくて、手を挙げた人間の悪口を言って事が済むほど世の中は甘くない。
手を挙げた人間がろくでもないならば、自分が手を挙げる。自分が手を挙げる覚悟と勇気がないならば、それを持って手を挙げた人間の中からベストを選ぶ。それが民主主義だ。
河野太郎公式サイト | 民主主義の権利と義務
http://www.taro.org/2010/07/post-785.php
と言っておられます。
これは正論。まったくの正論。
ですが、反論したいです。
×を付けるタイプの選挙が良いと言ったひとり(http://bmidvar.paslog.jp/article/1481425.html)として。
まず、河野氏は選挙に立候補しなかった有権者を「覚悟と勇気がない」としていますが、はたして今の日本の選挙で立候補に必要なのは覚悟と勇気だけであるかどうか、というところに大いに疑問があります。
選挙に立候補しない有権者のほとんどは覚悟と勇気以外の理由(覚悟と勇気以前の理由)で立候補しないと思うのですがどうでしょうか?
河野氏は、有権者が候補者に対して×をつけることを、選挙に立候補する覚悟と勇気がない人間が覚悟と勇気を持った人間に対してリスクも取らずに悪口を言う行為だ、としていますが、僕は必ずしもそうは言えないと思います。
立候補するだけの覚悟と勇気を持った有権者は山ほどいて、それでもなお立候補できない理由があるのだと思います。
なぜ今の選挙に立候補するのは政治家の子息や、市民活動をプロフェッショナル的に行なっている人や、宗教団体の幹部や、有名なスポーツ選手や、タレントや、その他大金持ちばかりなのでしょうか?
こういう人が立候補しやすく、そうでない人が立候補しにくいという状況が(覚悟と勇気以外の部分で)あるのではないでしょうか?
覚悟と勇気さえあれば立候補できるような立場にある人(政治家の子息や市民活動の人やタレントなど)だけが国民であり有権者である、というのであれば河野氏の言うこともわかるのですが・・・。
これは河野氏のことではなく、一般的な政治家の方についてのことなのですが、国民の生活の厳しさを理解していない人が多すぎです。
国民は政治家の方たちが考えているほど裕福ではありませんし、将来への不安をもっていないわけではない。
子供があした食べる分を稼ぐのに血反吐を吐きながら頑張っている国民に対して、立候補しないのは覚悟と勇気がないからだなんてよく言えたものだと思います。
選挙活動をしている間、そしてその人が当選しなかったとき、その子どもはどうやって食べていくのでしょうか?
政治家の方がこのようなことを一向に理解しようとせず、また一向に理解しようとしなくても政治家という仕事が務まるのが不思議でしょうがないのですが、まあ政治家というのはそういう職業なのでしょう。
選挙の開票直後に投稿されたウノウ山田さんのツイート(http://twitter.com/suadd/status/18275366785)
みんながねじれるのを希望してるってことは政治家になるべく何もしないでってことなんだろうな。それはそれで分かる
が心にしみ入ります。
※で、このエントリを投稿して、河野氏にトラックバックを投げようとしたのですが、なんと河野氏のブログはトラックバックを受け付けてないのね。
まあ僕が河野氏のような著名な政治家だったとしたら同じようにするかもしれませんが、なんか民主主義的じゃないなあとも思います。
これが今の日本の“民主主義”なんだろうな。
2010年07月11日
選挙の投票に行ってきました。が・・・。

行ってきました。
が、やはり選挙のやり方に問題があるような気がするなあ。
これは僕がなんとなく感じていることで、特にそうだと断言できる根拠はないのですが、
どの政党も、若者を損させて老人に若者から巻き上げたぶんを分配する、という考え方は変わらなくて、どの老人にどれだけ分配するか、というところにしか違いがない
ような気がするのです。
これを解決するには、僕が兼ねて言ってる「選挙権および被選挙権の定年制」か、それが難しければ「誰かひとりを選ぶのではなく、×をつける投票の制度」を導入するのがよいと思うのです。
あと、候補者(政治家)が嘘をつきまくるというのはなんとかなりませんかね。
選挙の論点として、財源がどうのとか言われてますが、嘘をついた政治家から罰金を取ってそれを財源にすればなんとかなるのでは(笑)。それほどみんな嘘をつく。
マニフェストにしたって「これまでの公約と違って、必ず実現する政権公約です」という触れ込みで出てきたのに(もっとも、じゃあこれまでの公約はなんだったんだというツッコミはありましたが)、登場からわずか数年後の今では「適当な口約束」の象徴みたいになってるじゃないすか。
なんとかならないですかね?
ちょっとparsleyさんたちと何かやさせていただく方向で考えてみます。
2010年07月04日
インターネットユーザーと普通の人の話。
ある20代前半コミュニケーション業界人に「mixiやってますか?」と尋ねたときに、「アカウントを持っていない」という答えが返ってきたときのことです。
そのとき、僕の近くにいた人(決して年寄りではないし、彼女自身もまたmixiユーザー)が、「若いのにmixiに依存してなくて好感が持てる」という感想を漏らしたのですが、このことにえらく違和感を感じました。
僕などは「コミュニケーション業界人なのにmixiのアカウントも持ってないなんて、敬語が使えないのと同じレベルで、コミュニケーション能力に相当難があるんじゃないか?」と感じたので、当然その部分の違和感もあったのですが、それよりさらに強く、僕に違和感を感じさせたのは別の部分です。
その部分というのは、彼女がmixiのアカウントを持っていない人に好感を抱いたことそのこと自体です。
mixiのアカウントを持っていることは、mixiに依存していることとイコールではないので、mixiのアカウントを持っていることをmixiに依存しているとする彼女のこの感想は間違っているのですが、彼女がそのような間違った感想をもったこと自体に非常に違和感を覚えたのです。
あるツールを使っていない人が、そのツールを使っている人を「そのツールに依存している人」であると錯覚してしまうことはよくあることだと思います。
心理学の難しいことはよくわかりませんが、これは防御本能みたいなものでしょう。自分と同じでない人を異端者であると決め付けることで、自分は正しいのだという自己暗示をかけているのでしょう。
北野武監督がツイッタユーザーへの批判を、半ば嘲笑混じりに行っていることなどは、それにあたるのではないかと思います。
しかし今回の場合は、mixiユーザーが非mixiユーザーに対して「依存していなくて好感が持てる」と言っているのです。
これはどういう事なのでしょうか?
彼女自身がmixiに依存していて、その可能性がゼロである人に対して「好感が持てる」と言っているのであればわかりやすいのですが、どうもそれが原因であるような気がしません。
うまく言えないのですが、あるツールを利用する人を異端者であると決め付けるような言説が流布していて、多くの人はそれに知らず知らずに洗脳されている、のではないかな、と感じます。
・・・あ、なんか、たま出版みたいな言い方になってしまいました。
そうじゃありません。たま出版的なのではなく、もうちょっと普通のですね。
例えば、「mixiユーザー」の対義語が「普通の人」であるとするような言説です。
もっと言えば「インターネットユーザー」の対義語が「普通の人」であるとするような言説です。
日本のインターネット人口普及率は8割くらいですから、数の上では「インターネットユーザー」が「非インターネットユーザー」を大きく上回っています。
であるにもかかわらず「インターネットユーザー」の反対側に「普通の人=非インターネットユーザー」がいるという考え方は結構主流だったりするのではないでしょうか?
彼女が非mixiユーザーの20代前半コミュニケーション業界人に出会った時に感じた好感は、ある言説における「普通の人」に出会った安心感だったのかな、と思ったり思わなかったり。
そして、そのような、どちらかと言えば荒唐無稽な言説が広く流布し、それに考え方を固定させられている人が多いであろうことに違和感を覚えるのです。
そのとき、僕の近くにいた人(決して年寄りではないし、彼女自身もまたmixiユーザー)が、「若いのにmixiに依存してなくて好感が持てる」という感想を漏らしたのですが、このことにえらく違和感を感じました。
僕などは「コミュニケーション業界人なのにmixiのアカウントも持ってないなんて、敬語が使えないのと同じレベルで、コミュニケーション能力に相当難があるんじゃないか?」と感じたので、当然その部分の違和感もあったのですが、それよりさらに強く、僕に違和感を感じさせたのは別の部分です。
その部分というのは、彼女がmixiのアカウントを持っていない人に好感を抱いたことそのこと自体です。
mixiのアカウントを持っていることは、mixiに依存していることとイコールではないので、mixiのアカウントを持っていることをmixiに依存しているとする彼女のこの感想は間違っているのですが、彼女がそのような間違った感想をもったこと自体に非常に違和感を覚えたのです。
あるツールを使っていない人が、そのツールを使っている人を「そのツールに依存している人」であると錯覚してしまうことはよくあることだと思います。
心理学の難しいことはよくわかりませんが、これは防御本能みたいなものでしょう。自分と同じでない人を異端者であると決め付けることで、自分は正しいのだという自己暗示をかけているのでしょう。
北野武監督がツイッタユーザーへの批判を、半ば嘲笑混じりに行っていることなどは、それにあたるのではないかと思います。
しかし今回の場合は、mixiユーザーが非mixiユーザーに対して「依存していなくて好感が持てる」と言っているのです。
これはどういう事なのでしょうか?
彼女自身がmixiに依存していて、その可能性がゼロである人に対して「好感が持てる」と言っているのであればわかりやすいのですが、どうもそれが原因であるような気がしません。
うまく言えないのですが、あるツールを利用する人を異端者であると決め付けるような言説が流布していて、多くの人はそれに知らず知らずに洗脳されている、のではないかな、と感じます。
・・・あ、なんか、たま出版みたいな言い方になってしまいました。
そうじゃありません。たま出版的なのではなく、もうちょっと普通のですね。
例えば、「mixiユーザー」の対義語が「普通の人」であるとするような言説です。
もっと言えば「インターネットユーザー」の対義語が「普通の人」であるとするような言説です。
日本のインターネット人口普及率は8割くらいですから、数の上では「インターネットユーザー」が「非インターネットユーザー」を大きく上回っています。
であるにもかかわらず「インターネットユーザー」の反対側に「普通の人=非インターネットユーザー」がいるという考え方は結構主流だったりするのではないでしょうか?
彼女が非mixiユーザーの20代前半コミュニケーション業界人に出会った時に感じた好感は、ある言説における「普通の人」に出会った安心感だったのかな、と思ったり思わなかったり。
そして、そのような、どちらかと言えば荒唐無稽な言説が広く流布し、それに考え方を固定させられている人が多いであろうことに違和感を覚えるのです。
2010年06月26日
オンラインコミュニケーションとオフラインコミュニケーションを対立軸で考える話。
最近は紙幣で買い物をする人が増えている。
例えば、1000円のものを買うときに、10円玉100枚ではなく、1000円札を1枚出す、という具合にである。
ずいぶんお手軽なものだ。
確かに、紙幣の扱いに慣れている人にとっては、10円玉を100枚出すよりも1000円札を1枚出すほうが簡単なものなのかもしれない。
だがここで少し考えて欲しい。
仮に買いたいものの値段が1000円ではなく、1010円だったとき、紙幣で買い物をする人はどうするのだろうか?
ご存知のように、10円札というものはこの世にはない。
つまり紙幣で買い物をする人は、1010円のものを買うことができないのである。
これは考えてみると実に不便なことである。
重量の面や、製造の面から便利であると思われている紙幣が、逆に我々に不便さをもたらしているのである。
そう考えると、紙幣に頼りきる生活というのは危険なものであると思わざるを得ない。
紙幣ばかり使っていると、必然的に硬貨を使用するケースが少なくなる。そうなると、いざ硬貨が必要な場面で、正しく硬貨を使用することができなくなってしまうのである。
紙幣は言わば、危険な麻薬と言えよう。
確かに紙幣は硬貨に比べ、持ち運びなどの面で利点がある。だが、その一方で、人間が本来持っている硬貨利用の能力を低下させるという作用も持っているのだ。
最近の若者は、筆者の世代の人間ほど躊躇することなく、紙幣を利用しているようだが、筆者はこれに警鐘を鳴らしたい。
紙幣は硬貨の代わりにはなりえないのである。
また、現在、多くの企業でも紙幣を利用すべきか、それとも硬貨のままでいくのか、という議論が盛んに行われているが、ここまでお読みいただいたみなさまにおいては、その答えは明らかであることがおわかりかと思う。
紙幣利用では1010円のものを買うことが不可能だ。だが、(紙幣の利用に比べ多少手間がかかるとは言え)硬貨にはそれできる。紙幣は万能の魔法ではないのだ。
紙幣に過度に頼り、硬貨をおざなりにする現代人にはいつか手痛いしっぺ返しが待っているのではないか、筆者にはそう思えてならないのである。
例えば、1000円のものを買うときに、10円玉100枚ではなく、1000円札を1枚出す、という具合にである。
ずいぶんお手軽なものだ。
確かに、紙幣の扱いに慣れている人にとっては、10円玉を100枚出すよりも1000円札を1枚出すほうが簡単なものなのかもしれない。
だがここで少し考えて欲しい。
仮に買いたいものの値段が1000円ではなく、1010円だったとき、紙幣で買い物をする人はどうするのだろうか?
ご存知のように、10円札というものはこの世にはない。
つまり紙幣で買い物をする人は、1010円のものを買うことができないのである。
これは考えてみると実に不便なことである。
重量の面や、製造の面から便利であると思われている紙幣が、逆に我々に不便さをもたらしているのである。
そう考えると、紙幣に頼りきる生活というのは危険なものであると思わざるを得ない。
紙幣ばかり使っていると、必然的に硬貨を使用するケースが少なくなる。そうなると、いざ硬貨が必要な場面で、正しく硬貨を使用することができなくなってしまうのである。
紙幣は言わば、危険な麻薬と言えよう。
確かに紙幣は硬貨に比べ、持ち運びなどの面で利点がある。だが、その一方で、人間が本来持っている硬貨利用の能力を低下させるという作用も持っているのだ。
最近の若者は、筆者の世代の人間ほど躊躇することなく、紙幣を利用しているようだが、筆者はこれに警鐘を鳴らしたい。
紙幣は硬貨の代わりにはなりえないのである。
また、現在、多くの企業でも紙幣を利用すべきか、それとも硬貨のままでいくのか、という議論が盛んに行われているが、ここまでお読みいただいたみなさまにおいては、その答えは明らかであることがおわかりかと思う。
紙幣利用では1010円のものを買うことが不可能だ。だが、(紙幣の利用に比べ多少手間がかかるとは言え)硬貨にはそれできる。紙幣は万能の魔法ではないのだ。
紙幣に過度に頼り、硬貨をおざなりにする現代人にはいつか手痛いしっぺ返しが待っているのではないか、筆者にはそう思えてならないのである。
2010年06月20日
民放局のサッカー中継番組はなぜウザイのか?(ウザイと思われる側にも理由がある)という話。
このブログだったかどうか忘れてしまったのですが、以前どこかに「2ちゃんねるのテレビ実況板が、30秒スキップの脅威からテレビCMを守るかもしれない」というようなことを書いたことがあります。
HDDレコーダーの普及が進み、テレビ番組をリアルタイムで試聴する必然性がより希薄になった現在、HDDレコーダーに標準装備されている30秒スキップ機能によってCMを見ずに番組の本編だけを試聴するというスタイルは当たり前のものとなっていますが、2ちゃんねるのテレビ実況板は、多くの人と感想をリアルタイムに共有しながらテレビ番組を試聴するというスタイルを視聴者にもたらし、そのことが人々をもう一度テレビ番組のリアルタイム試聴に引き戻すのではないか、そして、リアルタイム視聴の復活によってテレビCMが再び見られる日が来るのではないか、というような内容でした。
今テレビではサッカーの世界的イベントが連日放送されていますが、これなどには特に当てはまるかもしれません。
日本戦を2ちゃんねる(別にツイッタでもなんでもいいのですが)で実況しながら、リアルタイムに試合を観戦することの面白さはそれはもうやみつきになるほどです。
僕もその面白さに魅せられたひとりで、そういうわけで、第2戦のオランダ戦もテレビを見ながら2ちゃんねるだのツイッタだのに興じようと思ったわけです。
前置きが長くなりましたが、ここからが今日のお話ですよ。
で、テレビに実装されている番組表で調べると、ある民放局が「日本対オランダ戦」という番組をやっているとありましたので、その局にチャンネルを合わせたんです。
ところが、あれれ???
青い服を着たタレントが、スタジオに詰めかけた観覧者に旗をふることを促したり、それを静止したり、突然大声を出してみたり、で、「日本対オランダ戦」を放送する気配はありません。
僕はテレビ番組大好きで、他の人よりも多くテレビを試聴するタイプの人間だと思うのですが、実はこの手の番組が苦手で、それでなくてもサッカーの試合を観戦したいという欲求がありましたので、すぐにでもテレビの電源を切ってしまいたい衝動にかられたのですが、2ちゃんねるを見たところ、NHKBSで試合の中継をすることがわかりましたので、すぐにそちらにチャンネルを切り替えました。
2ちゃんねるによると、その民放局でも試合の中継をするらしかったのですが、それを盛り上げるために試合開始のずいぶん前からタレントを「応援団長」にして応援をやっていたんだとか。
そういうちょっとした戸惑いを経て、NHKBSアンド2ちゃんねるアンドツイッタで、楽しい観戦をスタートさせたのですが、試合開始からちょっと経って、ツイッタの様子がおかしい。
どうも、先程の民放局、試合が始まってからも馬鹿騒ぎを続けていたようで、その民放局を視聴していた方(NHKBSの視聴契約をしていない方なのでしょう)が、「ウザイ!ウザイ!」と苦情を書き込んでいるのです。
僕もタレントの馬鹿騒ぎは苦手なので気持ちはよくわかります。
サッカーの試合が見たいのに、ちょいちょいタレントが出てきてサッカー中継の邪魔をするとなれば、これはもうウザイでしょう。
なぜこんなことになってしまうのでしょうか?
その民放局の人が視聴者の邪魔をしたくてタレントに馬鹿騒ぎをさせているのでしょうか?
それともその民放局の人がパアで、タレントの馬鹿騒ぎがサッカー観戦の邪魔になることに気づいていないのでしょうか?
僕はそのどちらでもないと思います。
視聴者にウザイと感じさせるようなことをしなければその民放局が儲からない仕組みになっているからじゃないでしょうか?
んじゃどうしてそんな仕組みが出来上がってしまったのか?
ちょっと長くなりますが、以下にそれを。
そもそも、民放局は広告主に「コミュニケーションの解決策」を売ることで成り立っています。
民放局にとってのお客さんである広告主は大抵の場合、「より多くの人とコミュニケーションしなければならない」という課題を抱えています。より多くの人に、商品やその広告主自身のことを知ってもらうために情報発信をしなければならないという課題を抱えています。
民放局はそんな広告主の課題を解決する代わりに広告主からお金を貰っています。民放局は広告主の代わりに、より多くの人とコミュニケーションして、お金を儲けているのです。
そういう意味で民放局は、広告主の「コミュニケーション上の課題を解決する」サービスを提供している企業だと言えるかもしれません。
民放局の商品は「コミュニケーションの解決策」なのです。
民放局は広告主に提供する「コミュニケーションの解決策」として、より多くの人に見てもらえるような番組を作り、その番組の合間合間に広告主が発信したい情報を発信しています。
これがテレビCMですね。
では、より多くの人に見てもらえるような番組とはどういうものでしょうか?
サッカー日本代表の試合はまさにそれでしょう。
ほかにも多くの人が関心をもつ事件に関する情報や、日本の政治に関する情報もそうかもしれません。
だから、民放局はそういう情報を番組として放送し、その合間合間にテレビCMを流すことで広告主からお金を貰うのです。
しかしこの仕組みには問題があります。
サッカー日本代表の試合や、多くの人が関心を持つ事件、政治に関する情報というのはそう多くないのです。
1年365日ずっと番組を放送できるだけ、多くの人に関心を持ってもらうような番組のネタ(コンテンツ)は多くないのです。
ですから、民放局は、サッカー日本代表の試合や大事件や政治の情報がない時間にでも番組が作れるようにコンテンツを揃えなければなりません。
テレビドラマやクイズ番組はそういった事情で、放送されているのです。そして、そういった事情があるので、民放局はテレビドラマやクイズ番組を必要とし、次はテレビドラマやクイズ番組をつくって、それをテレビ局に売ってお金を儲ける会社が出てきます。
そんな事情でテレビドラマやクイズ番組が増えると、次はその中で競争が起こります。
より人気のあるタレントを出演させなければ、テレビドラマやクイズ番組が多くの人の関心を引きつける(サッカー日本代表の試合や大事件の代わりになる)ことはできないのです。
ですから、次はより人気のあるタレントを抱え、そのマネジメント手数料でお金を儲ける会社が出てきます。
そんなこんなの「カゼオケ」方式で関係者が増えていった結果、「コミュニケーションの解決策」のための手段のための手段のための手段・・・のようなものがどんどん生まれていき、それら関係者の専門性は細分化していきます。手段を目的としてお金儲けをする関係者がどんどん増えていくのです。
「手段の目的化」がそこかしこで起こり、民放局はそれら関係者のお金儲けの面倒をすべて見なければならない立場に追いやられます。
ここに至って、最初の目的であった「コミュニケーションの解決策」を広告主に提供することが後回しにされてしまうのです。
いまや目的は「コミュニケーションの解決策」を広告主に提供することではありません。その過程の手段を確保することこそが目的なのです。
そうなると、おかしなことが起こります。
最初は貴重だと思われていた「多くの人に見てもらえる番組」がだんだん邪魔になっていくのです。
多くの人に見てもらえる番組は、そこになんの工夫も加えなくても多くの人に見てもらえます。
つまり、面白い番組を生み出すために工夫する人、つまりクイズ番組を作ったりする人やタレントのマネジメントをしたりする人の仕事がいらないのです。
ということは、そういう番組を放送すると、そういう人たちが食べられなくなります。
だからテレビ局は、もともと「多くの人に見てもらえる番組」にも、クイズ番組を作る人やタレントのマネジメントをする人が仕事をする余地を作ろうとします。
多くの人はサッカーの試合が見たいと思っているのだから、サッカーの試合をシンプルに放送し、その合間にテレビCMを放送して広告主からお金を貰えばいいのに、クイズ番組を作る人やタレントのマネジメントをする人の儲けも考えねばならなくなり、余計なものがごちゃごちゃくっついた、つまり「ウザイ」ものがくっついた番組ができるのです。
でもこれは仕方ないのです。
クイズ番組を作る人やタレントのマネジメントをする人がいなくなったら、民放局はやっていけません。
だから番組をウザくせざるを得ないのです。
ウザイ番組を作らなければみんな儲からないんです。
ただ、もともとに立ち返って考えなければなりません。
ウザイ番組を作れば、民放局や関係者は儲かります。
ただ、視聴者はその番組を「ウザイ!」と感じます。
視聴者は「ウザイ!」と感じたものに対しては心を閉ざしてしまいます。
視聴者が心を閉ざしてしまっては、民放局は広告主に「コミュニケーションの解決策」を提供できなくなってしまいます。
民放局はそろそろ自分たちの商品がなんなのか?どういうところに広告主がお金を払ってくれるのかを考えなければなりません。
これまではごまかせていたのかもしれませんが、ツイッタなんかでこうも「ウザイウザイ」書かれると、広告主にもバレてしまいます。
さて最後に、このブログの筆者はPR会社に勤務しているのですが、このエントリでテレビ局や制作会社、タレントエージェンシーだけを悪者みたいに書いて、PR会社や広告代理店などもコミュニケーション会社に一切触れないのは卑怯だ、とお考えになる方もいるかも知れません。
そのことについて弁解するつもりはありません。
コミュニケーション会社が世の中のいろんなものをウザくすることで儲けているというのはその通りかもしれません。
ただ、このエントリで伝えたかったのは、テレビ業界だけに限らず、建設業界や小売業界、金融業界・・・、いろんな業界で、生活者に不便を強いることでしか儲けることができなくなってしまう仕組みが潜んでいるんじゃないのか、ということだったりします。
HDDレコーダーの普及が進み、テレビ番組をリアルタイムで試聴する必然性がより希薄になった現在、HDDレコーダーに標準装備されている30秒スキップ機能によってCMを見ずに番組の本編だけを試聴するというスタイルは当たり前のものとなっていますが、2ちゃんねるのテレビ実況板は、多くの人と感想をリアルタイムに共有しながらテレビ番組を試聴するというスタイルを視聴者にもたらし、そのことが人々をもう一度テレビ番組のリアルタイム試聴に引き戻すのではないか、そして、リアルタイム視聴の復活によってテレビCMが再び見られる日が来るのではないか、というような内容でした。
今テレビではサッカーの世界的イベントが連日放送されていますが、これなどには特に当てはまるかもしれません。
日本戦を2ちゃんねる(別にツイッタでもなんでもいいのですが)で実況しながら、リアルタイムに試合を観戦することの面白さはそれはもうやみつきになるほどです。
僕もその面白さに魅せられたひとりで、そういうわけで、第2戦のオランダ戦もテレビを見ながら2ちゃんねるだのツイッタだのに興じようと思ったわけです。
前置きが長くなりましたが、ここからが今日のお話ですよ。
で、テレビに実装されている番組表で調べると、ある民放局が「日本対オランダ戦」という番組をやっているとありましたので、その局にチャンネルを合わせたんです。
ところが、あれれ???
青い服を着たタレントが、スタジオに詰めかけた観覧者に旗をふることを促したり、それを静止したり、突然大声を出してみたり、で、「日本対オランダ戦」を放送する気配はありません。
僕はテレビ番組大好きで、他の人よりも多くテレビを試聴するタイプの人間だと思うのですが、実はこの手の番組が苦手で、それでなくてもサッカーの試合を観戦したいという欲求がありましたので、すぐにでもテレビの電源を切ってしまいたい衝動にかられたのですが、2ちゃんねるを見たところ、NHKBSで試合の中継をすることがわかりましたので、すぐにそちらにチャンネルを切り替えました。
2ちゃんねるによると、その民放局でも試合の中継をするらしかったのですが、それを盛り上げるために試合開始のずいぶん前からタレントを「応援団長」にして応援をやっていたんだとか。
そういうちょっとした戸惑いを経て、NHKBSアンド2ちゃんねるアンドツイッタで、楽しい観戦をスタートさせたのですが、試合開始からちょっと経って、ツイッタの様子がおかしい。
どうも、先程の民放局、試合が始まってからも馬鹿騒ぎを続けていたようで、その民放局を視聴していた方(NHKBSの視聴契約をしていない方なのでしょう)が、「ウザイ!ウザイ!」と苦情を書き込んでいるのです。
僕もタレントの馬鹿騒ぎは苦手なので気持ちはよくわかります。
サッカーの試合が見たいのに、ちょいちょいタレントが出てきてサッカー中継の邪魔をするとなれば、これはもうウザイでしょう。
なぜこんなことになってしまうのでしょうか?
その民放局の人が視聴者の邪魔をしたくてタレントに馬鹿騒ぎをさせているのでしょうか?
それともその民放局の人がパアで、タレントの馬鹿騒ぎがサッカー観戦の邪魔になることに気づいていないのでしょうか?
僕はそのどちらでもないと思います。
視聴者にウザイと感じさせるようなことをしなければその民放局が儲からない仕組みになっているからじゃないでしょうか?
んじゃどうしてそんな仕組みが出来上がってしまったのか?
ちょっと長くなりますが、以下にそれを。
そもそも、民放局は広告主に「コミュニケーションの解決策」を売ることで成り立っています。
民放局にとってのお客さんである広告主は大抵の場合、「より多くの人とコミュニケーションしなければならない」という課題を抱えています。より多くの人に、商品やその広告主自身のことを知ってもらうために情報発信をしなければならないという課題を抱えています。
民放局はそんな広告主の課題を解決する代わりに広告主からお金を貰っています。民放局は広告主の代わりに、より多くの人とコミュニケーションして、お金を儲けているのです。
そういう意味で民放局は、広告主の「コミュニケーション上の課題を解決する」サービスを提供している企業だと言えるかもしれません。
民放局の商品は「コミュニケーションの解決策」なのです。
民放局は広告主に提供する「コミュニケーションの解決策」として、より多くの人に見てもらえるような番組を作り、その番組の合間合間に広告主が発信したい情報を発信しています。
これがテレビCMですね。
では、より多くの人に見てもらえるような番組とはどういうものでしょうか?
サッカー日本代表の試合はまさにそれでしょう。
ほかにも多くの人が関心をもつ事件に関する情報や、日本の政治に関する情報もそうかもしれません。
だから、民放局はそういう情報を番組として放送し、その合間合間にテレビCMを流すことで広告主からお金を貰うのです。
しかしこの仕組みには問題があります。
サッカー日本代表の試合や、多くの人が関心を持つ事件、政治に関する情報というのはそう多くないのです。
1年365日ずっと番組を放送できるだけ、多くの人に関心を持ってもらうような番組のネタ(コンテンツ)は多くないのです。
ですから、民放局は、サッカー日本代表の試合や大事件や政治の情報がない時間にでも番組が作れるようにコンテンツを揃えなければなりません。
テレビドラマやクイズ番組はそういった事情で、放送されているのです。そして、そういった事情があるので、民放局はテレビドラマやクイズ番組を必要とし、次はテレビドラマやクイズ番組をつくって、それをテレビ局に売ってお金を儲ける会社が出てきます。
そんな事情でテレビドラマやクイズ番組が増えると、次はその中で競争が起こります。
より人気のあるタレントを出演させなければ、テレビドラマやクイズ番組が多くの人の関心を引きつける(サッカー日本代表の試合や大事件の代わりになる)ことはできないのです。
ですから、次はより人気のあるタレントを抱え、そのマネジメント手数料でお金を儲ける会社が出てきます。
そんなこんなの「カゼオケ」方式で関係者が増えていった結果、「コミュニケーションの解決策」のための手段のための手段のための手段・・・のようなものがどんどん生まれていき、それら関係者の専門性は細分化していきます。手段を目的としてお金儲けをする関係者がどんどん増えていくのです。
「手段の目的化」がそこかしこで起こり、民放局はそれら関係者のお金儲けの面倒をすべて見なければならない立場に追いやられます。
ここに至って、最初の目的であった「コミュニケーションの解決策」を広告主に提供することが後回しにされてしまうのです。
いまや目的は「コミュニケーションの解決策」を広告主に提供することではありません。その過程の手段を確保することこそが目的なのです。
そうなると、おかしなことが起こります。
最初は貴重だと思われていた「多くの人に見てもらえる番組」がだんだん邪魔になっていくのです。
多くの人に見てもらえる番組は、そこになんの工夫も加えなくても多くの人に見てもらえます。
つまり、面白い番組を生み出すために工夫する人、つまりクイズ番組を作ったりする人やタレントのマネジメントをしたりする人の仕事がいらないのです。
ということは、そういう番組を放送すると、そういう人たちが食べられなくなります。
だからテレビ局は、もともと「多くの人に見てもらえる番組」にも、クイズ番組を作る人やタレントのマネジメントをする人が仕事をする余地を作ろうとします。
多くの人はサッカーの試合が見たいと思っているのだから、サッカーの試合をシンプルに放送し、その合間にテレビCMを放送して広告主からお金を貰えばいいのに、クイズ番組を作る人やタレントのマネジメントをする人の儲けも考えねばならなくなり、余計なものがごちゃごちゃくっついた、つまり「ウザイ」ものがくっついた番組ができるのです。
でもこれは仕方ないのです。
クイズ番組を作る人やタレントのマネジメントをする人がいなくなったら、民放局はやっていけません。
だから番組をウザくせざるを得ないのです。
ウザイ番組を作らなければみんな儲からないんです。
ただ、もともとに立ち返って考えなければなりません。
ウザイ番組を作れば、民放局や関係者は儲かります。
ただ、視聴者はその番組を「ウザイ!」と感じます。
視聴者は「ウザイ!」と感じたものに対しては心を閉ざしてしまいます。
視聴者が心を閉ざしてしまっては、民放局は広告主に「コミュニケーションの解決策」を提供できなくなってしまいます。
民放局はそろそろ自分たちの商品がなんなのか?どういうところに広告主がお金を払ってくれるのかを考えなければなりません。
これまではごまかせていたのかもしれませんが、ツイッタなんかでこうも「ウザイウザイ」書かれると、広告主にもバレてしまいます。
さて最後に、このブログの筆者はPR会社に勤務しているのですが、このエントリでテレビ局や制作会社、タレントエージェンシーだけを悪者みたいに書いて、PR会社や広告代理店などもコミュニケーション会社に一切触れないのは卑怯だ、とお考えになる方もいるかも知れません。
そのことについて弁解するつもりはありません。
コミュニケーション会社が世の中のいろんなものをウザくすることで儲けているというのはその通りかもしれません。
ただ、このエントリで伝えたかったのは、テレビ業界だけに限らず、建設業界や小売業界、金融業界・・・、いろんな業界で、生活者に不便を強いることでしか儲けることができなくなってしまう仕組みが潜んでいるんじゃないのか、ということだったりします。
2010年05月16日
己の内に宿るスイーツ(笑)的価値観とウェブのメインストリームのはざまで・・・〜大手PR会社のウェブコミュニケーション進出の話。
これまで真剣にウェブと向き合ってこなかった大手PR会社にとって、良質な既存ウェブ系コミュニケーション会社とパートナーシップを結び、彼らの知見を活かしながらウェブコミュニケーションの世界に踏み出していくことは急務になっています。
・・・書いていて、自分でも「何をいまさら・・・」と思うのですが、まあそれは本当なので仕方ない。大手PR会社にとって、上に挙げたようなことはここ5年ほどずっと「急務」のままです。
5年間一体何をしてたんだ?
5年前の「急務」なら5年前に片付けとけ!
という声が聞こえてきそうなのですが、大手PR会社も別に何もしてこなかったというわけではないのです(本当に何もしてこなかったところもあるみたいですが)。
中にはちゃんと既存ウェブ系コミュニケーション会社とのパートナーシップを築いているところもあるのです。
ただ大手PR会社がパートナーシップを結んできた既存ウェブ系コミュニケーション会社が「良質」ではなく、そのために大手PR会社は5年経った今でも「良質」な既存ウェブ系コミュニケーション会社とのパートナーシップづくりが「急務」のままなのです。
んじゃあなんで大手PR会社はこれまで良質な既存ウェブ系コミュニケーション会社とパートナーシップを結ぶことができなかったの?というのが今日のお話です。
簡単に言うと、大手PR会社が既存ウェブ系コミュニケーション会社の質の良し悪しについて、間違った判断をしてきたからです。もう少し言えば、既存ウェブ系コミュニケーション会社の質の良し悪しを逆に判断していたからです。つまり良い会社を「悪い」、悪い会社を「良い」としてきたからです。
なぜこんな変なことが起こってしまったのか。
このことの裏には2つの原因があります。ひとつめはウェブの普及がもたらしたコミュニケーション分野における一部の価値観の逆転、ふたつめは大手PR会社のメディアリテラシーの低さです。
つまり、ウェブが普及してこれまで良いとされていたものが悪いとされ、悪いとされていたものが良いとされるようになったことに、メディアリテラシーの低い大手PR会社は気づくことができなかった、てなわけです。
具体的にはどういうことか?
大手PR会社は長らくスイーツ(笑)的価値観を至上のものとしてきました。スイーツ(笑)的価値観は万人に受け入れられ、これを貶めるものなど存在しない、という価値観を持ってきたような気がします。
しかしウェブが普及し、いわゆるその辺の普通の人の発言が世に出回るようになると、この価値観にゆらぎが生じました。やはり世の中の人はスイーツ(笑)を絶賛していたわけではなかったのです。
しかし大手PR会社はこのことを受け入れることができませんでした。スイーツ(笑)を賞賛せず、ときに嘲嗤うような人たちに「一部のネットユーザー」というレッテルを貼り、無視してかまわない人たちであると自己暗示をかけることにしたのです。
しかし、大手PR会社が見ざる聞かざるをやっているうちにも時代は進みます。
気がつくと、より小さな規模のPR会社や広告会社がウェブの世界でどんどんPRキャンペーン(本来であれば大手PR会社が担うべきようなものです)の実績を積んでいくようになっていました。
ここで大手PR会社はコレはヤバイ!と気がつきます。
より小さな規模のPR会社や広告会社がやっているように既存ウェブ系コミュニケーション会社とパートナーシップを結び、ようやくウェブコミュニケーションの世界に乗り出すことにします。
===== 休 憩 =====
===== 再 開 =====
しかしここでまた例のスイーツ(笑)的価値観が大手PR会社の邪魔をします。
第2の悲劇が生まれるのです。
メインストリームのウェブコミュニケーションにおいてスイーツ(笑)が無視されていたように、良質な既存ウェブ系コミュニケーション会社の多くもまたスイーツ(笑)的価値観を持たぬ会社たちでした。大手PR会社が最も苦手とする「一部のネットユーザー」がそこにはいたのです。
かくして大手PR会社は道を誤ります。
目の前に現れた「良質な」既存ウェブ系コミュニケーション会社を低質なものと判断し、スイーツ(笑)的価値観を共有することができる既存ウェブ系コミュニケーション会社を良質なものであると判断してしまったのです。
スイーツ(笑)的価値観をもった既存ウェブ系コミュニケーション会社とは、これすなわちウェブコミュニケーションのメインストリームとはかけ離れた、ウェブにおいてはマニアックでニッチな部分を専門分野とするコミュニケーション会社です。ウェブのメインストリームとは繋がることのできないコミュニケーション会社です。
こういう人たちとパートナーシップを結んでも、より小さな規模のPR会社や広告会社のようにはなれません。
こんなことを5年やって、大手PR会社はついに気づきます。
ひょっとしたらスイーツ(笑)ってウェブのメインストリームではないのでは・・・???
しかし大手PR会社は会社はまだまだスイーツ(笑)を捨てることができません。
スイーツ(笑)はメインストリームではないと気づいたものの、長年自分たちが蔑んできた「一部のネットユーザー」的価値観を受け入れるのには心理的に抵抗があります。
大手PR会社のジレンマはまだまだ続くのでありました。
ただ、ここまで行っている大手PR会社は結構いい線まで来ていると思います。
あとはスイーツ(笑)の呪いを解き放つだけなのです。
より小さな規模のPR会社や広告会社、そしてクライアント(しかも皮肉なことにスイーツ(笑)的クライアントも含む)にできているんだもの。大手PR会社もやればできるとおもいます。
問題はまさに今ウェブコミュニケーションの世界に乗り出そうとしている大手PR会社ですな。
彼らの様子は5年前の、競合他社の様子とまったく同じで、ウェブコミュニケーションの世界でのメインストリームを「マニアックでヲタっぽい」と判断し、自分たちが生きる道は、(実はマニアックでニッチな)スイーツ(笑)にあり!と意気込んでいるからです。
他人の失敗に学べないのもまた、メディアリテラシーが低いからなのでしょうか。
大手PR会社(笑)の2015年に要注目です。
・・・書いていて、自分でも「何をいまさら・・・」と思うのですが、まあそれは本当なので仕方ない。大手PR会社にとって、上に挙げたようなことはここ5年ほどずっと「急務」のままです。
5年間一体何をしてたんだ?
5年前の「急務」なら5年前に片付けとけ!
という声が聞こえてきそうなのですが、大手PR会社も別に何もしてこなかったというわけではないのです(本当に何もしてこなかったところもあるみたいですが)。
中にはちゃんと既存ウェブ系コミュニケーション会社とのパートナーシップを築いているところもあるのです。
ただ大手PR会社がパートナーシップを結んできた既存ウェブ系コミュニケーション会社が「良質」ではなく、そのために大手PR会社は5年経った今でも「良質」な既存ウェブ系コミュニケーション会社とのパートナーシップづくりが「急務」のままなのです。
んじゃあなんで大手PR会社はこれまで良質な既存ウェブ系コミュニケーション会社とパートナーシップを結ぶことができなかったの?というのが今日のお話です。
簡単に言うと、大手PR会社が既存ウェブ系コミュニケーション会社の質の良し悪しについて、間違った判断をしてきたからです。もう少し言えば、既存ウェブ系コミュニケーション会社の質の良し悪しを逆に判断していたからです。つまり良い会社を「悪い」、悪い会社を「良い」としてきたからです。
なぜこんな変なことが起こってしまったのか。
このことの裏には2つの原因があります。ひとつめはウェブの普及がもたらしたコミュニケーション分野における一部の価値観の逆転、ふたつめは大手PR会社のメディアリテラシーの低さです。
つまり、ウェブが普及してこれまで良いとされていたものが悪いとされ、悪いとされていたものが良いとされるようになったことに、メディアリテラシーの低い大手PR会社は気づくことができなかった、てなわけです。
具体的にはどういうことか?
大手PR会社は長らくスイーツ(笑)的価値観を至上のものとしてきました。スイーツ(笑)的価値観は万人に受け入れられ、これを貶めるものなど存在しない、という価値観を持ってきたような気がします。
しかしウェブが普及し、いわゆるその辺の普通の人の発言が世に出回るようになると、この価値観にゆらぎが生じました。やはり世の中の人はスイーツ(笑)を絶賛していたわけではなかったのです。
しかし大手PR会社はこのことを受け入れることができませんでした。スイーツ(笑)を賞賛せず、ときに嘲嗤うような人たちに「一部のネットユーザー」というレッテルを貼り、無視してかまわない人たちであると自己暗示をかけることにしたのです。
しかし、大手PR会社が見ざる聞かざるをやっているうちにも時代は進みます。
気がつくと、より小さな規模のPR会社や広告会社がウェブの世界でどんどんPRキャンペーン(本来であれば大手PR会社が担うべきようなものです)の実績を積んでいくようになっていました。
ここで大手PR会社はコレはヤバイ!と気がつきます。
より小さな規模のPR会社や広告会社がやっているように既存ウェブ系コミュニケーション会社とパートナーシップを結び、ようやくウェブコミュニケーションの世界に乗り出すことにします。
===== 休 憩 =====
===== 再 開 =====
しかしここでまた例のスイーツ(笑)的価値観が大手PR会社の邪魔をします。
第2の悲劇が生まれるのです。
メインストリームのウェブコミュニケーションにおいてスイーツ(笑)が無視されていたように、良質な既存ウェブ系コミュニケーション会社の多くもまたスイーツ(笑)的価値観を持たぬ会社たちでした。大手PR会社が最も苦手とする「一部のネットユーザー」がそこにはいたのです。
かくして大手PR会社は道を誤ります。
目の前に現れた「良質な」既存ウェブ系コミュニケーション会社を低質なものと判断し、スイーツ(笑)的価値観を共有することができる既存ウェブ系コミュニケーション会社を良質なものであると判断してしまったのです。
スイーツ(笑)的価値観をもった既存ウェブ系コミュニケーション会社とは、これすなわちウェブコミュニケーションのメインストリームとはかけ離れた、ウェブにおいてはマニアックでニッチな部分を専門分野とするコミュニケーション会社です。ウェブのメインストリームとは繋がることのできないコミュニケーション会社です。
こういう人たちとパートナーシップを結んでも、より小さな規模のPR会社や広告会社のようにはなれません。
こんなことを5年やって、大手PR会社はついに気づきます。
ひょっとしたらスイーツ(笑)ってウェブのメインストリームではないのでは・・・???
しかし大手PR会社は会社はまだまだスイーツ(笑)を捨てることができません。
スイーツ(笑)はメインストリームではないと気づいたものの、長年自分たちが蔑んできた「一部のネットユーザー」的価値観を受け入れるのには心理的に抵抗があります。
大手PR会社のジレンマはまだまだ続くのでありました。
ただ、ここまで行っている大手PR会社は結構いい線まで来ていると思います。
あとはスイーツ(笑)の呪いを解き放つだけなのです。
より小さな規模のPR会社や広告会社、そしてクライアント(しかも皮肉なことにスイーツ(笑)的クライアントも含む)にできているんだもの。大手PR会社もやればできるとおもいます。
問題はまさに今ウェブコミュニケーションの世界に乗り出そうとしている大手PR会社ですな。
彼らの様子は5年前の、競合他社の様子とまったく同じで、ウェブコミュニケーションの世界でのメインストリームを「マニアックでヲタっぽい」と判断し、自分たちが生きる道は、(実はマニアックでニッチな)スイーツ(笑)にあり!と意気込んでいるからです。
他人の失敗に学べないのもまた、メディアリテラシーが低いからなのでしょうか。
大手PR会社(笑)の2015年に要注目です。
2010年04月13日
PR会社が生き残るためにウェブコミュニケーションとITを混同してはいけない話。
今や、ウェブに強くないPR会社は、ウェブPR以外の仕事も含めて仕事がもらえない状況になっております。
クライアントは、今や、ウェブに強くないPR会社にオフラインメディアパブリシティを依頼しようとはしません。
ですからPR会社は、従来の主力商品であるオフラインメディアパブリシティを多く受注するためにも、ウェブPR部門を強化せねばならなくなってきております。
ウェブPR部門に優秀なマネージャーを配し、しかるべき権限委譲を行い、ウェブコミュニケーションに精通した人材を社内から選抜、または社外から採用して、適切に配置をする必要があります。
しかしながら、多くのPR会社は、ここでひとつの問題に直面するでしょう。
優秀なマネージャーを配し、権限委譲するところまではなんとかできそうです。
問題はその次。ウェブコミュニケーションに長けた人材の選抜というところです。
ウェブコミュニケーションに長けた人材とは、いったいどういう人材なのでしょうか?
どういう人をウェブコミュニケーションに長けた人材として、選抜、採用すべきなのでしょうか?
なぜこの問いが難しい問題なのか、その背景には、「ウェブコミュニケーション」という概念と「IT」という概念が混同されやすい状況がいまだにあるからだと思われます。
欲しいのはウェブコミュニケーションに長けた人材なのに、間違ってITエキスパートを採用してしまった、という滑稽で不幸な間違いをしてしまった会社もあるのではないでしょうか?
ウェブコミュニケーションの現場、ITの現場にいると、こういった間違いはまずしないものなのですが(たまにしてしまうこともありますが)、経営者や採用担当者がウェブコミュニケーションの人やITの人でない場合、こういう間違いが起こってしまっても不思議ではありません。
少しクイズ形式で例を挙げて。
今PR会社が必要としているウェブコミュニケーションに精通した人材とは、次のうちどの人とどの人でしょうか?
1.初級シスアドもってます。
2.mixiで大規模なお料理コミュを運営しています。
3.PHPの達人です。簡単な検索エンジンくらいだったら作れます。
4.PHPの勉強会を主宰しています。全国各地のPHPコミュニティと日々交流があります。
5.学生のときにMOSに合格しました。ワード、エクセルはもちろん、アクセスだってわからないことはありません。
例と言うには簡単すぎましたかね?
クライアントは、今や、ウェブに強くないPR会社にオフラインメディアパブリシティを依頼しようとはしません。
ですからPR会社は、従来の主力商品であるオフラインメディアパブリシティを多く受注するためにも、ウェブPR部門を強化せねばならなくなってきております。
ウェブPR部門に優秀なマネージャーを配し、しかるべき権限委譲を行い、ウェブコミュニケーションに精通した人材を社内から選抜、または社外から採用して、適切に配置をする必要があります。
しかしながら、多くのPR会社は、ここでひとつの問題に直面するでしょう。
優秀なマネージャーを配し、権限委譲するところまではなんとかできそうです。
問題はその次。ウェブコミュニケーションに長けた人材の選抜というところです。
ウェブコミュニケーションに長けた人材とは、いったいどういう人材なのでしょうか?
どういう人をウェブコミュニケーションに長けた人材として、選抜、採用すべきなのでしょうか?
なぜこの問いが難しい問題なのか、その背景には、「ウェブコミュニケーション」という概念と「IT」という概念が混同されやすい状況がいまだにあるからだと思われます。
欲しいのはウェブコミュニケーションに長けた人材なのに、間違ってITエキスパートを採用してしまった、という滑稽で不幸な間違いをしてしまった会社もあるのではないでしょうか?
ウェブコミュニケーションの現場、ITの現場にいると、こういった間違いはまずしないものなのですが(たまにしてしまうこともありますが)、経営者や採用担当者がウェブコミュニケーションの人やITの人でない場合、こういう間違いが起こってしまっても不思議ではありません。
少しクイズ形式で例を挙げて。
今PR会社が必要としているウェブコミュニケーションに精通した人材とは、次のうちどの人とどの人でしょうか?
1.初級シスアドもってます。
2.mixiで大規模なお料理コミュを運営しています。
3.PHPの達人です。簡単な検索エンジンくらいだったら作れます。
4.PHPの勉強会を主宰しています。全国各地のPHPコミュニティと日々交流があります。
5.学生のときにMOSに合格しました。ワード、エクセルはもちろん、アクセスだってわからないことはありません。
例と言うには簡単すぎましたかね?
2010年04月10日
NXT俺的評価第1回目
テレビでNXTの第1回評価をやっていますが、これを見る前に俺的評価をやってみたいと思います。
ウェイド・バレット(プロはジェリコ)
ナルシストという設定なのだと思いますが、いまひとつ活かしきれてないと思います。
こういうキャラクターはプロモーションインタビューとかで映えるタイプなので、そういう場面がここまでにないというのはキツいですね。
プロが同タイプのジェリコというのも厳しいです。
試合に関してはそつがないといった感じですね。光る個性がないという意味では今ひとつなのですが、大崩れもしないと思います。
もうちょっと試合の動きでキャラクターを表現できるようになれば、一歩次の段階に進めるんじゃないでしょうか?その点を考えると、ジェリコからいろいろ学んで欲しいですね。
ジェリコは(本人が言ってるのとは別の意味で)、世界最高のスーパースター。その点で他の7人より恵まれています。彼と組めるというラッキーを活かして欲しいです。
ジャスティン・ゲイブリエル(プロはマットハーディー)
試合は面白いと思います。必殺技の450スプラッシュも綺麗で、よく訓練されている印象です。
ただ、もうひとつなにか欲しいです。現役スーパースターではエヴァン・ボーンやヨシ・タツなんかと同じタイプなのだと思いますが、彼らがレギュラー番組の中で苦労していることを考えると、試合でのムーブの良さにくわえ、もうひとつ何か身につけたいところです。
スキットでは少し緊張しているように見えます。(日本語訳では今ひとつ伝わってこないのですが)マットとのやりとりも面白いはずなのですが、カタいシーンに見えてしまってます。
でも、8人のルーキーの中ではかなり良い方です。俺的評価も高いです。
スキップ・シェフィールド(プロはリーガル)
俺的評価第1位は彼です。
試合での動きは良く、基礎ができている感じです。攻めに関してはパンチもクローズラインもしっかり当たっている感じで、説得力があります。受けに関しても、大柄な選手に特有の、軽い選手の軽い攻撃を受ける際の不自然さがなく、意外に器用なタイプなのだと思います。
リーガルからアドバイスを受けるスキットがありましたが、「大柄な粗忽者」というキャラクターが立っていて非常に好意が持てました。もっと見てみたい感じです。
と、俺的には絶賛なのですが、一般的な人気を得るのは難しいと思います(笑)。
おそらく、何度も何度も呼ばれて、中堅でジョバー的に使われて、何度も何度も解雇される、というスーパースター人生を送るような気がします。
成功するには何が足りないんでしょうねー。わからないです(笑)。
ダニエル・ブライアン(プロはミズ)
一番動けていると思います。キャリア10年だそうですが、なるほど、攻めも受けもしっかりしています。
ただ華のなさは致命的かもしれません。
体も小さく、コスチュームも元関取の日本のプロレスラーみたいで、髪型もヲタっぽく、顔もボーッとした感じで、ルックスでは間違いなく8人中最下位だと思います(笑)。
この方面では天才的なミズと組んでいるため、ルックスのまずさや華の無さがカバーされていますが、彼がカリートあたりと組んでいたらどうなっていたんでしょう?
ただ、本当に動きはいいです。現時点で完成されていると言っても良いと思います。おそらく、試合の動きがが相当できない相手と試合をしても、それなりに試合を作ってしまえるだけの力量をすでに持っていると思います。
ダレン・ヤング(プロはCMパンク)
CMパンクと組むことが裏目に出ていますね。まあルーキーがCMパンクと絡んだスキットを成立させる、というのはかなり難しいと思いますが、それにしても残念な感じです。
ルックスは良く、体も作れていると思います。髪型も個性的でキャラは立っています。それだけにCMパンクのキャラクターとの相性の悪さが際立ってしまうのかもしれません。
試合の方でも、印象は今ひとつですね。
体は出来ていますし、おそらく、新人8人の中でも指折りの運動神経の良さを持っていると思います。なのに何故か印象が薄いですね。
まあCMパンクが濃すぎるのかもしれないですけれどね。
デイビッド・オタンガ(プロはRトゥルース)
素晴らしいバックグラウンドと、その他のダメさが共存する、稀有な存在だと思います。
彼がいるからNXTという番組が成立していると言っても過言ではないと思います。
ただ、本当に彼はダメです(笑)。
しゃべってもダメ、試合をしてもダメ、歩き方もダメ、ルックスも中途半端に良くてダメ、立っているだけでもなんかダメ。
中でも特に試合はダメですね。何をやっているのか、全く伝わってこない。ブライアンとは逆で、今の力では誰とやってもまともな試合ができないと思います。最初の試合で必殺技を出して勝ったんですが、あれ、見てて事故かと思ってしまいました。
ただ、バックグラウンドの素晴らしさは、WWE向きだと思います。
ハーバード法科卒で、ジェニファー・ハドソンの婚約者とのことですが、こういうバックグラウンドは、望んで得られるものではありません。
試合のダメさ、しゃべりのまずさなどは訓練を積めば改善できます。でも、このバックグラウンドは訓練ではなんともなりません。ブライアンあたりが今からどんなに努力をしてもこのバックグラウンドを得ることはできないでしょう。でも、オタンガが努力をすれば、ブライアンのような試合をすることができるようになるかもしれません。
そういった意味でとにかく努力して欲しいです。
あと、僕は番組的には彼が優勝するんじゃないかと思っています(笑)。
ヒース・スレイター(プロはクリスチャン)
悪くないです。
悪くないですが、決して良くはありません。
8人のルーキーの中ではキャリアが長いほうなのでしょうか?試合を見ていると、ほかのルーキーに比べて動きがスムーズな印象を受けます。ただ体格に比べるとちょっと軽すぎるでしょうか?特に受ける場面でそう思えます。
キャラクターも悪くありません。良くはないですが。
あと、笑顔で頭を振りながら入場するのはやめた方がいいです。
シェイマスもかつては笑顔で頭を振りながら入場していたのですが、その時はぱっとしませんでした。それをやめてから今の快進撃が始まったのです。
マイケル・ターヴァー(プロはカリート)
うーん。
つらいですね。
技の受け方は悪くないです。8人の中でも上位でしょう。
何が悪いのでしょうか?
あの「○○秒で敵を倒せる」というキャラクターづけがだめなんでしょうか?
決めポーズも遠くから見るとよくわからなくて、小物っぽさが出てしまっています。ルックスも今ひとつ際立ってないです。
このままでは最初に落とされるのは彼ということになってしまいそうです。
と、言うわけで、第1回俺的評価は
1.スキップ・シェフィールド
2.ジャスティン・ゲイブリエル
3.ダニエル・ブライアン
4.ダレン・ヤング
5.デイビッド・オタンガ
6.ヒース・スレイター
7.ウェイド・バレット
8.マイケル・ターヴァー
です。
ただ、番組的にはオタンガがぶっちぎりで1位になると思います。
ウェイド・バレット(プロはジェリコ)
ナルシストという設定なのだと思いますが、いまひとつ活かしきれてないと思います。
こういうキャラクターはプロモーションインタビューとかで映えるタイプなので、そういう場面がここまでにないというのはキツいですね。
プロが同タイプのジェリコというのも厳しいです。
試合に関してはそつがないといった感じですね。光る個性がないという意味では今ひとつなのですが、大崩れもしないと思います。
もうちょっと試合の動きでキャラクターを表現できるようになれば、一歩次の段階に進めるんじゃないでしょうか?その点を考えると、ジェリコからいろいろ学んで欲しいですね。
ジェリコは(本人が言ってるのとは別の意味で)、世界最高のスーパースター。その点で他の7人より恵まれています。彼と組めるというラッキーを活かして欲しいです。
ジャスティン・ゲイブリエル(プロはマットハーディー)
試合は面白いと思います。必殺技の450スプラッシュも綺麗で、よく訓練されている印象です。
ただ、もうひとつなにか欲しいです。現役スーパースターではエヴァン・ボーンやヨシ・タツなんかと同じタイプなのだと思いますが、彼らがレギュラー番組の中で苦労していることを考えると、試合でのムーブの良さにくわえ、もうひとつ何か身につけたいところです。
スキットでは少し緊張しているように見えます。(日本語訳では今ひとつ伝わってこないのですが)マットとのやりとりも面白いはずなのですが、カタいシーンに見えてしまってます。
でも、8人のルーキーの中ではかなり良い方です。俺的評価も高いです。
スキップ・シェフィールド(プロはリーガル)
俺的評価第1位は彼です。
試合での動きは良く、基礎ができている感じです。攻めに関してはパンチもクローズラインもしっかり当たっている感じで、説得力があります。受けに関しても、大柄な選手に特有の、軽い選手の軽い攻撃を受ける際の不自然さがなく、意外に器用なタイプなのだと思います。
リーガルからアドバイスを受けるスキットがありましたが、「大柄な粗忽者」というキャラクターが立っていて非常に好意が持てました。もっと見てみたい感じです。
と、俺的には絶賛なのですが、一般的な人気を得るのは難しいと思います(笑)。
おそらく、何度も何度も呼ばれて、中堅でジョバー的に使われて、何度も何度も解雇される、というスーパースター人生を送るような気がします。
成功するには何が足りないんでしょうねー。わからないです(笑)。
ダニエル・ブライアン(プロはミズ)
一番動けていると思います。キャリア10年だそうですが、なるほど、攻めも受けもしっかりしています。
ただ華のなさは致命的かもしれません。
体も小さく、コスチュームも元関取の日本のプロレスラーみたいで、髪型もヲタっぽく、顔もボーッとした感じで、ルックスでは間違いなく8人中最下位だと思います(笑)。
この方面では天才的なミズと組んでいるため、ルックスのまずさや華の無さがカバーされていますが、彼がカリートあたりと組んでいたらどうなっていたんでしょう?
ただ、本当に動きはいいです。現時点で完成されていると言っても良いと思います。おそらく、試合の動きがが相当できない相手と試合をしても、それなりに試合を作ってしまえるだけの力量をすでに持っていると思います。
ダレン・ヤング(プロはCMパンク)
CMパンクと組むことが裏目に出ていますね。まあルーキーがCMパンクと絡んだスキットを成立させる、というのはかなり難しいと思いますが、それにしても残念な感じです。
ルックスは良く、体も作れていると思います。髪型も個性的でキャラは立っています。それだけにCMパンクのキャラクターとの相性の悪さが際立ってしまうのかもしれません。
試合の方でも、印象は今ひとつですね。
体は出来ていますし、おそらく、新人8人の中でも指折りの運動神経の良さを持っていると思います。なのに何故か印象が薄いですね。
まあCMパンクが濃すぎるのかもしれないですけれどね。
デイビッド・オタンガ(プロはRトゥルース)
素晴らしいバックグラウンドと、その他のダメさが共存する、稀有な存在だと思います。
彼がいるからNXTという番組が成立していると言っても過言ではないと思います。
ただ、本当に彼はダメです(笑)。
しゃべってもダメ、試合をしてもダメ、歩き方もダメ、ルックスも中途半端に良くてダメ、立っているだけでもなんかダメ。
中でも特に試合はダメですね。何をやっているのか、全く伝わってこない。ブライアンとは逆で、今の力では誰とやってもまともな試合ができないと思います。最初の試合で必殺技を出して勝ったんですが、あれ、見てて事故かと思ってしまいました。
ただ、バックグラウンドの素晴らしさは、WWE向きだと思います。
ハーバード法科卒で、ジェニファー・ハドソンの婚約者とのことですが、こういうバックグラウンドは、望んで得られるものではありません。
試合のダメさ、しゃべりのまずさなどは訓練を積めば改善できます。でも、このバックグラウンドは訓練ではなんともなりません。ブライアンあたりが今からどんなに努力をしてもこのバックグラウンドを得ることはできないでしょう。でも、オタンガが努力をすれば、ブライアンのような試合をすることができるようになるかもしれません。
そういった意味でとにかく努力して欲しいです。
あと、僕は番組的には彼が優勝するんじゃないかと思っています(笑)。
ヒース・スレイター(プロはクリスチャン)
悪くないです。
悪くないですが、決して良くはありません。
8人のルーキーの中ではキャリアが長いほうなのでしょうか?試合を見ていると、ほかのルーキーに比べて動きがスムーズな印象を受けます。ただ体格に比べるとちょっと軽すぎるでしょうか?特に受ける場面でそう思えます。
キャラクターも悪くありません。良くはないですが。
あと、笑顔で頭を振りながら入場するのはやめた方がいいです。
シェイマスもかつては笑顔で頭を振りながら入場していたのですが、その時はぱっとしませんでした。それをやめてから今の快進撃が始まったのです。
マイケル・ターヴァー(プロはカリート)
うーん。
つらいですね。
技の受け方は悪くないです。8人の中でも上位でしょう。
何が悪いのでしょうか?
あの「○○秒で敵を倒せる」というキャラクターづけがだめなんでしょうか?
決めポーズも遠くから見るとよくわからなくて、小物っぽさが出てしまっています。ルックスも今ひとつ際立ってないです。
このままでは最初に落とされるのは彼ということになってしまいそうです。
と、言うわけで、第1回俺的評価は
1.スキップ・シェフィールド
2.ジャスティン・ゲイブリエル
3.ダニエル・ブライアン
4.ダレン・ヤング
5.デイビッド・オタンガ
6.ヒース・スレイター
7.ウェイド・バレット
8.マイケル・ターヴァー
です。
ただ、番組的にはオタンガがぶっちぎりで1位になると思います。
2010年04月09日
新聞の情報は遅くなどない、客観性・信頼性こそが欠点だ!という話。
新聞はウェブの情報に比べて遅いからダメなのだ、という議論がありますが、僕は必ずしもそうだとは思わなかったりします。
先日から話題になっているエントリ
サッカーメディアは新聞や雑誌から人へ移行する!? - ajickr blog
http://ajickr.sakura.ne.jp/archives/547
では、新聞などの1次情報が人というフィルタを通ることによって、有用性や信頼性が高まり、受容される、という具合になっていますが、もしそうであるならば、新聞の情報の遅さはあまり問題ではない、ということになります。
情報の遅さは、実は新聞にとっての致命的な欠点ではない、というのが僕の考えです。
だからと言って新聞に全く問題がないかと言うと、もちろんそうではありません。新聞の致命的な欠点・ウェブと比べたときに遅れをとっている点は実はもっと根深いところにあるのではないかと思います。
それは何か。
実はスピード感に勝る新聞にとっての唯一の切り札であると思われている客観性・信頼性こそが、新聞にとっての致命的な欠点・ウェブに太刀打ちできていないほど遅れをとっている点ではないかと思います。
上でご紹介したエントリの通りであれば、この情報洪水の時代において、人というフィルタに通された情報こそが客観性を持った情報であり、信頼できる情報である、ということになります。
その意味においては、新聞の情報はまさに1次情報で、それはつまり、人というフィルタに通されるという過程を極力省略した情報です。鵜呑みにするに値しない、客観性・信頼性に乏しい情報であると言えるかもしれません。
もちろん、新聞の情報は、その辺のわけのわからない人がひとり喧伝しているような情報に比べれば、新聞社というでかい看板をもった「法人」というフィルタを通されているぶん、客観性・信頼性においてまさっているでしょう。
ですが、それは複数の人のフィルタに通された情報に比べれば、いささか心もとない客観性・信頼性です。
人々は「法人」が客観性をもつ情報を発信することが難しいことを既に学んでしまっていますし、単純に考えてひとつの「法人」というフィルタしか通っていない情報の信頼性が、何人もの人のフィルタを通った情報の信頼性に比べて低いことは明らかであるように思われます。
日本経済新聞が電子版をはじめましたが、こういったやり方によって従来新聞が持っていた欠点(僕に言わせれば致命的ではない欠点)である「情報の遅さ」は解消されます。
ですが、依然新聞にとっての致命的欠点である、情報の信頼性・客観性の乏しさは解消されません。
非常に根深い問題で、僕が今これを解決する明快な答えは持っていないのですが、多様性を何らかの形で取り込むことはヒントになるような気がしています。
あと、もっと現実的な方法として、「スピード」に特化するというのはあると思います。
新聞は遅い遅いといわれますが、それは新聞「紙」が遅いだけで、記者の方が取材をし、文章を書くスピードや、デスクの方がそれを「記事」という形にするスピードは、素人から見ればそれはもう神業であるかのようです。
これを売り物にする、というのはありだと思います。
その場合、記者の方やデスクの方のスピードの足かせになっている新聞「紙」とはどうしても決別せねばなりませんが・・・。
なんだか案外普通の結論になってしまいました。
先日から話題になっているエントリ
サッカーメディアは新聞や雑誌から人へ移行する!? - ajickr blog
http://ajickr.sakura.ne.jp/archives/547
では、新聞などの1次情報が人というフィルタを通ることによって、有用性や信頼性が高まり、受容される、という具合になっていますが、もしそうであるならば、新聞の情報の遅さはあまり問題ではない、ということになります。
情報の遅さは、実は新聞にとっての致命的な欠点ではない、というのが僕の考えです。
だからと言って新聞に全く問題がないかと言うと、もちろんそうではありません。新聞の致命的な欠点・ウェブと比べたときに遅れをとっている点は実はもっと根深いところにあるのではないかと思います。
それは何か。
実はスピード感に勝る新聞にとっての唯一の切り札であると思われている客観性・信頼性こそが、新聞にとっての致命的な欠点・ウェブに太刀打ちできていないほど遅れをとっている点ではないかと思います。
上でご紹介したエントリの通りであれば、この情報洪水の時代において、人というフィルタに通された情報こそが客観性を持った情報であり、信頼できる情報である、ということになります。
その意味においては、新聞の情報はまさに1次情報で、それはつまり、人というフィルタに通されるという過程を極力省略した情報です。鵜呑みにするに値しない、客観性・信頼性に乏しい情報であると言えるかもしれません。
もちろん、新聞の情報は、その辺のわけのわからない人がひとり喧伝しているような情報に比べれば、新聞社というでかい看板をもった「法人」というフィルタを通されているぶん、客観性・信頼性においてまさっているでしょう。
ですが、それは複数の人のフィルタに通された情報に比べれば、いささか心もとない客観性・信頼性です。
人々は「法人」が客観性をもつ情報を発信することが難しいことを既に学んでしまっていますし、単純に考えてひとつの「法人」というフィルタしか通っていない情報の信頼性が、何人もの人のフィルタを通った情報の信頼性に比べて低いことは明らかであるように思われます。
日本経済新聞が電子版をはじめましたが、こういったやり方によって従来新聞が持っていた欠点(僕に言わせれば致命的ではない欠点)である「情報の遅さ」は解消されます。
ですが、依然新聞にとっての致命的欠点である、情報の信頼性・客観性の乏しさは解消されません。
非常に根深い問題で、僕が今これを解決する明快な答えは持っていないのですが、多様性を何らかの形で取り込むことはヒントになるような気がしています。
あと、もっと現実的な方法として、「スピード」に特化するというのはあると思います。
新聞は遅い遅いといわれますが、それは新聞「紙」が遅いだけで、記者の方が取材をし、文章を書くスピードや、デスクの方がそれを「記事」という形にするスピードは、素人から見ればそれはもう神業であるかのようです。
これを売り物にする、というのはありだと思います。
その場合、記者の方やデスクの方のスピードの足かせになっている新聞「紙」とはどうしても決別せねばなりませんが・・・。
なんだか案外普通の結論になってしまいました。
2010年04月01日
【エイプリルフール】新日本WOMマーケティング協議会(NWO)を設立しました
【2010年4月1日に書いたエイプリルフールのねたです】
みなさま。
このたび日本のWOMマーケティング業界の真の活性化を図るべく、新日本WOMマーケティング協議会(Newjapan Word Of mouthmarketing Association:略称NWO)を設立いたしましたのでご報告いたします。
新日本WOMマーケティング協議会(NWO)ではこれまで手ぬるかったWOMマーケティング業界の発展施策を強力に推し進める目的で設立されました。
ガイドラインを策定し、これに抵触する法人会員・個人会員を積極的に除名することで、日本のWOMマーケティング業界の秩序を保っていく方針であります。
新日本WOMマーケティング協議会(NWO)では、以下の体制で協議会運営を行います。
理事長:DJソルト(失職中)
事務局長:田端和弘(個人会員)
事務局員(田端の手下):細川一成(下克上)
◆新日本WOMマーケティング協議会(NWO)ガイドライン◆
1. (関係性明示の原則)WOMマーケティング事業者は、どのような関係性において、WOMマーケティングが成立しているかについて、消費者が理解できるようにしなければならない。関係性とは、原則として金銭、物品、サービスの提供とする。これを破れば即除名。
2. (社会啓発の原則)WOMマーケティング事業者は、1が実現するように必要な啓発活動を行うとする。これを破れば即除名。
3. (その他大事な原則)まいんは俺の嫁。
なお、この記事はDJソルトから金銭の提供を受けて書いているペイパーポストの記事です。
みなさま。
このたび日本のWOMマーケティング業界の真の活性化を図るべく、新日本WOMマーケティング協議会(Newjapan Word Of mouthmarketing Association:略称NWO)を設立いたしましたのでご報告いたします。
新日本WOMマーケティング協議会(NWO)ではこれまで手ぬるかったWOMマーケティング業界の発展施策を強力に推し進める目的で設立されました。
ガイドラインを策定し、これに抵触する法人会員・個人会員を積極的に除名することで、日本のWOMマーケティング業界の秩序を保っていく方針であります。
新日本WOMマーケティング協議会(NWO)では、以下の体制で協議会運営を行います。
理事長:DJソルト(失職中)
事務局長:田端和弘(個人会員)
事務局員(田端の手下):細川一成(下克上)
◆新日本WOMマーケティング協議会(NWO)ガイドライン◆
1. (関係性明示の原則)WOMマーケティング事業者は、どのような関係性において、WOMマーケティングが成立しているかについて、消費者が理解できるようにしなければならない。関係性とは、原則として金銭、物品、サービスの提供とする。これを破れば即除名。
2. (社会啓発の原則)WOMマーケティング事業者は、1が実現するように必要な啓発活動を行うとする。これを破れば即除名。
3. (その他大事な原則)まいんは俺の嫁。
なお、この記事はDJソルトから金銭の提供を受けて書いているペイパーポストの記事です。
2010年03月30日
広告そのものではなく、広告人のマインドが広告を「効かないもの」にしてしまっているのではないかという話。
広告が効かなくなった、というフレーズは、今やそれ自体が陳腐化してしまうほどありふれた言葉の羅列になってしまっています。
が、実は広告というツールに力がなくなったわけではなく、単に広告人たちの思考様式が、生活者の情報行動とミスマッチを起こしているだけではないか、と僕は感じています。
限られたスペースを1ミリの無駄もなく有効に使い、メッセージを詰め込むか、という、高度化された現代の広告手法は、それ自体が広告と生活者の距離を遠ざけているように思えてなりません。、
よく広告はラブレターに例えられますが、高度化され、1ミリの無駄も許さない現代の広告は、遠くから見ると黒く塗り潰してあるようにしか見えないほどびっしりと字で埋め尽されたラブレターのようです。
そして多くの広告人が志向する望ましい広告というのは、隙間なく並べられた文字の中に美辞麗句をできるだけ詰め込んだラブレター、であるような気がしてなりません。
でもこういうラブレターって受け取った側はどう思うでしょう?
良くて意味不明な黒い紙、ともするとキモい嫌がらせ、のように思うのではないでしょうか?
多くの広告人は、びっしりと埋め尽くされた文字の中にあるのが「好きです」なのか「愛しています」なのかに細心の注意を払いますが、多くの受け取った側の人は「どっちにしろ意味不明」だと思うか、「どっちにしろキモい」と思うのではないでしょうか?
僕は広告の専門家ではありませんし、かといって広告の作り手側に属さないわけではない、微妙な立場の人間ですが、であるからこそ気づいたことを書いてみました。
もちろん、すべての広告の作り手がこうだとは思いません。
これを読んでいただいた広告関係の方の中には、「俺は違う!」と憤慨される方もいらっしゃるでしょう(そういう方のために弁明をさせていただくと、当然、ここに書かれているのは貴方のことではありません。こんなウェブの隅っこにあるようなブログをチェックされている広告関係の方は、きっとここに書かれたような段階をはるか昔に超越されたコミュニケーターでいらっしゃると思います)。
しかしながら、こういうことも実際に多くあり、こういうことが見落とされることで広告の可能性を狭めていることもあるのではないかと思い、書いてみたのです。
このテーマ、少し続けます。
が、実は広告というツールに力がなくなったわけではなく、単に広告人たちの思考様式が、生活者の情報行動とミスマッチを起こしているだけではないか、と僕は感じています。
限られたスペースを1ミリの無駄もなく有効に使い、メッセージを詰め込むか、という、高度化された現代の広告手法は、それ自体が広告と生活者の距離を遠ざけているように思えてなりません。、
よく広告はラブレターに例えられますが、高度化され、1ミリの無駄も許さない現代の広告は、遠くから見ると黒く塗り潰してあるようにしか見えないほどびっしりと字で埋め尽されたラブレターのようです。
そして多くの広告人が志向する望ましい広告というのは、隙間なく並べられた文字の中に美辞麗句をできるだけ詰め込んだラブレター、であるような気がしてなりません。
でもこういうラブレターって受け取った側はどう思うでしょう?
良くて意味不明な黒い紙、ともするとキモい嫌がらせ、のように思うのではないでしょうか?
多くの広告人は、びっしりと埋め尽くされた文字の中にあるのが「好きです」なのか「愛しています」なのかに細心の注意を払いますが、多くの受け取った側の人は「どっちにしろ意味不明」だと思うか、「どっちにしろキモい」と思うのではないでしょうか?
僕は広告の専門家ではありませんし、かといって広告の作り手側に属さないわけではない、微妙な立場の人間ですが、であるからこそ気づいたことを書いてみました。
もちろん、すべての広告の作り手がこうだとは思いません。
これを読んでいただいた広告関係の方の中には、「俺は違う!」と憤慨される方もいらっしゃるでしょう(そういう方のために弁明をさせていただくと、当然、ここに書かれているのは貴方のことではありません。こんなウェブの隅っこにあるようなブログをチェックされている広告関係の方は、きっとここに書かれたような段階をはるか昔に超越されたコミュニケーターでいらっしゃると思います)。
しかしながら、こういうことも実際に多くあり、こういうことが見落とされることで広告の可能性を狭めていることもあるのではないかと思い、書いてみたのです。
このテーマ、少し続けます。
広告そのものではなく、広告人のマインドが広告を「効かないもの」にしてしまっているのではないかという話。
広告が効かなくなった、というフレーズは、今やそれ自体が陳腐化してしまうほどありふれた言葉の羅列になってしまっています。
が、実は広告というツールに力がなくなったわけではなく、単に広告人たちの思考様式が、生活者の情報行動とミスマッチを起こしているだけではないか、と僕は感じています。
限られたスペースを1ミリの無駄もなく有効に使い、メッセージを詰め込むか、という、高度化された現代の広告手法は、それ自体が広告と生活者の距離を遠ざけているように思えてなりません。
よく広告はラブレターに例えられますが、高度化され、1ミリの無駄も許さない現代の広告は、遠くから見ると黒く塗り潰してあるようにしか見えないほどびっしりと字で埋め尽されたラブレターのようです。
そして多くの広告人が志向する望ましい広告というのは、隙間なく並べられた文字の中に美辞麗句をできるだけ詰め込んだラブレター、であるような気がしてなりません。
でもこういうラブレターって受け取った側はどう思うでしょう?
良くて意味不明な黒い紙、ともするとキモい嫌がらせ、のように思うのではないでしょうか?
多くの広告人は、びっしりと埋め尽くされた文字の中にあるのが「好きです」なのか「愛しています」なのかに細心の注意を払いますが、多くの受け取った側の人は「どっちにしろ意味不明」だと思うか、「どっちにしろキモい」と思うのではないでしょうか?
僕は広告の専門家ではありませんし、かといって広告の作り手側に属さないわけではない、微妙な立場の人間ですが、であるからこそ気づいたことを書いてみました。
もちろん、すべての広告の作り手がこうだとは思いません。
これを読んでいただいた広告関係の方の中には、「俺は違う!」と憤慨される方もいらっしゃるでしょう(そういう方のために弁明をさせていただくと、当然、ここに書かれているのは貴方のことではありません。こんなウェブの隅っこにあるようなブログをチェックされている広告関係の方は、きっとここに書かれたような段階をはるか昔に超越されたコミュニケーターでいらっしゃると思います)。
しかしながら、こういうことも実際に多くあり、こういうことが見落とされることで広告の可能性を狭めていることもあるのではないかと思い、書いてみたのです。
このテーマ、少し続けます。
が、実は広告というツールに力がなくなったわけではなく、単に広告人たちの思考様式が、生活者の情報行動とミスマッチを起こしているだけではないか、と僕は感じています。
限られたスペースを1ミリの無駄もなく有効に使い、メッセージを詰め込むか、という、高度化された現代の広告手法は、それ自体が広告と生活者の距離を遠ざけているように思えてなりません。
よく広告はラブレターに例えられますが、高度化され、1ミリの無駄も許さない現代の広告は、遠くから見ると黒く塗り潰してあるようにしか見えないほどびっしりと字で埋め尽されたラブレターのようです。
そして多くの広告人が志向する望ましい広告というのは、隙間なく並べられた文字の中に美辞麗句をできるだけ詰め込んだラブレター、であるような気がしてなりません。
でもこういうラブレターって受け取った側はどう思うでしょう?
良くて意味不明な黒い紙、ともするとキモい嫌がらせ、のように思うのではないでしょうか?
多くの広告人は、びっしりと埋め尽くされた文字の中にあるのが「好きです」なのか「愛しています」なのかに細心の注意を払いますが、多くの受け取った側の人は「どっちにしろ意味不明」だと思うか、「どっちにしろキモい」と思うのではないでしょうか?
僕は広告の専門家ではありませんし、かといって広告の作り手側に属さないわけではない、微妙な立場の人間ですが、であるからこそ気づいたことを書いてみました。
もちろん、すべての広告の作り手がこうだとは思いません。
これを読んでいただいた広告関係の方の中には、「俺は違う!」と憤慨される方もいらっしゃるでしょう(そういう方のために弁明をさせていただくと、当然、ここに書かれているのは貴方のことではありません。こんなウェブの隅っこにあるようなブログをチェックされている広告関係の方は、きっとここに書かれたような段階をはるか昔に超越されたコミュニケーターでいらっしゃると思います)。
しかしながら、こういうことも実際に多くあり、こういうことが見落とされることで広告の可能性を狭めていることもあるのではないかと思い、書いてみたのです。
このテーマ、少し続けます。
広告そのものではなく、広告人のマインドが広告を「効かないもの」にしてしまっているのではないかという話。
広告が効かなくなった、というフレーズは、今やそれ自体が陳腐化してしまうほどありふれた言葉の羅列になってしまっています。
が、実は広告というツールに力がなくなったわけではなく、単に広告人たちの思考様式が、生活者の情報行動とミスマッチを起こしているだけではないか、と僕は感じています。
限られたスペースを1ミリの無駄もなく有効に使い、メッセージを詰め込むか、という、高度化された現代の広告手法は、それ自体が広告と生活者の距離を遠ざけているように思えてなりません。
よく広告はラブレターに例えられますが、高度化され、1ミリの無駄も許さない現代の広告は、遠くから見ると黒く塗り潰してあるようにしか見えないほどびっしりと字で埋め尽されたラブレターのようです。
そして多くの広告人が志向する望ましい広告というのは、隙間なく並べられた文字の中に美辞麗句をできるだけ詰め込んだラブレター、であるような気がしてなりません。
でもこういうラブレターって受け取った側はどう思うでしょう?
良くて意味不明な黒い紙、ともするとキモい嫌がらせ、のように思うのではないでしょうか?
多くの広告人は、びっしりと埋め尽くされた文字の中にあるのが「好きです」なのか「愛しています」なのかに細心の注意を払いますが、多くの受け取った側の人は「どっちにしろ意味不明」だと思うか、「どっちにしろキモい」と思うのではないでしょうか?
僕は広告の専門家ではありませんし、かといって広告の作り手側に属さないわけではない、微妙な立場の人間ですが、であるからこそ気づいたことを書いてみました。
もちろん、すべての広告の作り手がこうだとは思いません。
これを読んでいただいた広告関係の方の中には、「俺は違う!」と憤慨される方もいらっしゃるでしょう(そういう方のために弁明をさせていただくと、当然、ここに書かれているのは貴方のことではありません。こんなウェブの隅っこにあるようなブログをチェックされている広告関係の方は、きっとここに書かれたような段階をはるか昔に超越されたコミュニケーターでいらっしゃると思います)。
しかしながら、こういうことも実際に多くあり、こういうことが見落とされることで広告の可能性を狭めていることもあるのではないかと思い、書いてみたのです。
このテーマ、少し続けます。
が、実は広告というツールに力がなくなったわけではなく、単に広告人たちの思考様式が、生活者の情報行動とミスマッチを起こしているだけではないか、と僕は感じています。
限られたスペースを1ミリの無駄もなく有効に使い、メッセージを詰め込むか、という、高度化された現代の広告手法は、それ自体が広告と生活者の距離を遠ざけているように思えてなりません。
よく広告はラブレターに例えられますが、高度化され、1ミリの無駄も許さない現代の広告は、遠くから見ると黒く塗り潰してあるようにしか見えないほどびっしりと字で埋め尽されたラブレターのようです。
そして多くの広告人が志向する望ましい広告というのは、隙間なく並べられた文字の中に美辞麗句をできるだけ詰め込んだラブレター、であるような気がしてなりません。
でもこういうラブレターって受け取った側はどう思うでしょう?
良くて意味不明な黒い紙、ともするとキモい嫌がらせ、のように思うのではないでしょうか?
多くの広告人は、びっしりと埋め尽くされた文字の中にあるのが「好きです」なのか「愛しています」なのかに細心の注意を払いますが、多くの受け取った側の人は「どっちにしろ意味不明」だと思うか、「どっちにしろキモい」と思うのではないでしょうか?
僕は広告の専門家ではありませんし、かといって広告の作り手側に属さないわけではない、微妙な立場の人間ですが、であるからこそ気づいたことを書いてみました。
もちろん、すべての広告の作り手がこうだとは思いません。
これを読んでいただいた広告関係の方の中には、「俺は違う!」と憤慨される方もいらっしゃるでしょう(そういう方のために弁明をさせていただくと、当然、ここに書かれているのは貴方のことではありません。こんなウェブの隅っこにあるようなブログをチェックされている広告関係の方は、きっとここに書かれたような段階をはるか昔に超越されたコミュニケーターでいらっしゃると思います)。
しかしながら、こういうことも実際に多くあり、こういうことが見落とされることで広告の可能性を狭めていることもあるのではないかと思い、書いてみたのです。
このテーマ、少し続けます。
2010年03月13日
WOMマーケティングサミットが開催された話。
WOMマーケティングサミット2010やりました。
すでにいろいろなメディアで報じていただいています。
WOMマーケティング協議会、「クチコミマーケティング」の基本理念を明確に示すガイドラインを発表:MarkeZine(マーケジン)
http://markezine.jp/article/detail/9851
いつも真っ先に記事を書いていただけるMarkeZineさん。
公式サイトの新着情報より早い!
WOM マーケティング協議会、口コミマーケティングに関するガイドラインを発表 - japan.internet.com Webマーケティング
http://japan.internet.com/wmnews/20100312/10.html
インターネットコムさん。参加者としてイベントに来ていただいたり、いつもお世話になっています。
WOMマーケティング協議会、クチコミのガイドラインを策定:NETMarketing Online(日経ネットマーケティング)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/nmg/20100312/213316/
日経ネットマーケティングさん。
今回は編集部さんスケジュール的にお忙しい時のイベント開催になってしまい、かなり無理をおした取材していただきました。
モノもらったら明示を--口コミマーケティングのガイドラインを業界団体が策定:ニュース - CNET Japan
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20410324,00.htm
そして懇親会でも紹介させていただいたCNET Japanさん。
藤代裕之ガイドラインPJリーダーをして「ガイドラインのポイントをいちばん的確に押さえた記事」と言わしめた記事です。
と、公式的なところはこのようなところで、中の人ならではの話を少し。
いろいろな方にお疲れ様でしたと言っていただきましたが、実のところを言うと、僕がこの言葉を頂戴して良いものか躊躇してしまうほど、他の沢山のスタッフが力を尽くしてくれました。
僕が実際にやっていたのは皆様からのお問い合わせに対してお返事をさせていただいていたくらい(と言ってもお問い合わせいただいた数はハンパなかったです。もちろん、これまでのどのイベントや、発表ごとよりもたくさんのお問い合わせを頂戴しました)で、実際に動いていたのは事務局メンバーの田端和弘さん。
僕がお問い合わせを受けて田端さんに指示をし、実際のところは田端さんが頑張る(笑)という仕組みで動いていました。
もうひとり、事務局メンバーの越一峰さんは、所属する博報堂DYインターソリューションズのエースプランナーで、本業がとてもお忙しいのですが、その中で時間をやりくりし、長時間のミーティング含む様々な業務に対応してくれました。
そして今回、手前味噌ながら絶賛されるべきだと思うのは、WOMMS2010運営チーム(実行委員会)の皆さんです。
プロジェクトリーダーのオガワタケヒトさんはじめ、プロモーションなど担当していただいた北川祐美香さんと二木純さん、登壇も兼務していただいた中島正之さんと森永真弓さん。ご存知藤崎実さんには制作から現場での細かいオペレーションまでありとあらゆることを担当していただきました。そして司令塔になっていただいた松尾智之さん。松尾さんにかけていただいた労力は、全スタッフのそれの半分かそれ以上に相当するくらいだったと思います。僕がいろいろな方に「お疲れ様」と言っていただけるのは、松尾さんのおかげです。松尾さんがいなければ、たぶん僕は今頃「馬鹿野郎!金返せ!」と言われていたでしょう。
7人の運営チームの方々には本当に感謝しています。
今回のサミットに来ていただき、もしご満足いただいたと言う方がおられたならば、7人の運営チームメンバーにもぜひ温かいお声がけをいただきたいと思います。
もちろん、その他のスタッフにも感謝したいと思います。
直前ギリギリまで細かい対応をしていただいた鈴木監事、分刻みの厳しいスケジュールの中、少しだけでもと前々日のミーティングに来ていただいた藤代さん、難しい立場ながら多くの時間をサミットのために割いていただいた野崎耕司さん、そして事故的に巻き込まれてキツイ役割を与えられながら、笑顔でこなしてくれた小川諒くん・・・。
会場をお貸しいただいたCCCのみなさんや、懇親会場となったカフェで美味しいお料理を提供してくださったみなさん含め、とにかくすべてのスタッフに感謝感謝感謝です。
もちろん登壇者の方々、ご来場いただいたすべてのみなさんにもお礼を申し上げたいと思います。
お忙しい中、海のものとも山のものともわからぬ生まれたての団体が主催するイベントにお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
至らぬ点も多々あったかと思いますが、こちらに懲りず、これからも見守っていただければ幸いです。
ありがとうございました。
本当にありがとうございました。
すでにいろいろなメディアで報じていただいています。
WOMマーケティング協議会、「クチコミマーケティング」の基本理念を明確に示すガイドラインを発表:MarkeZine(マーケジン)
http://markezine.jp/article/detail/9851
いつも真っ先に記事を書いていただけるMarkeZineさん。
公式サイトの新着情報より早い!
WOM マーケティング協議会、口コミマーケティングに関するガイドラインを発表 - japan.internet.com Webマーケティング
http://japan.internet.com/wmnews/20100312/10.html
インターネットコムさん。参加者としてイベントに来ていただいたり、いつもお世話になっています。
WOMマーケティング協議会、クチコミのガイドラインを策定:NETMarketing Online(日経ネットマーケティング)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/nmg/20100312/213316/
日経ネットマーケティングさん。
今回は編集部さんスケジュール的にお忙しい時のイベント開催になってしまい、かなり無理をおした取材していただきました。
モノもらったら明示を--口コミマーケティングのガイドラインを業界団体が策定:ニュース - CNET Japan
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20410324,00.htm
そして懇親会でも紹介させていただいたCNET Japanさん。
藤代裕之ガイドラインPJリーダーをして「ガイドラインのポイントをいちばん的確に押さえた記事」と言わしめた記事です。
と、公式的なところはこのようなところで、中の人ならではの話を少し。
いろいろな方にお疲れ様でしたと言っていただきましたが、実のところを言うと、僕がこの言葉を頂戴して良いものか躊躇してしまうほど、他の沢山のスタッフが力を尽くしてくれました。
僕が実際にやっていたのは皆様からのお問い合わせに対してお返事をさせていただいていたくらい(と言ってもお問い合わせいただいた数はハンパなかったです。もちろん、これまでのどのイベントや、発表ごとよりもたくさんのお問い合わせを頂戴しました)で、実際に動いていたのは事務局メンバーの田端和弘さん。
僕がお問い合わせを受けて田端さんに指示をし、実際のところは田端さんが頑張る(笑)という仕組みで動いていました。
もうひとり、事務局メンバーの越一峰さんは、所属する博報堂DYインターソリューションズのエースプランナーで、本業がとてもお忙しいのですが、その中で時間をやりくりし、長時間のミーティング含む様々な業務に対応してくれました。
そして今回、手前味噌ながら絶賛されるべきだと思うのは、WOMMS2010運営チーム(実行委員会)の皆さんです。
プロジェクトリーダーのオガワタケヒトさんはじめ、プロモーションなど担当していただいた北川祐美香さんと二木純さん、登壇も兼務していただいた中島正之さんと森永真弓さん。ご存知藤崎実さんには制作から現場での細かいオペレーションまでありとあらゆることを担当していただきました。そして司令塔になっていただいた松尾智之さん。松尾さんにかけていただいた労力は、全スタッフのそれの半分かそれ以上に相当するくらいだったと思います。僕がいろいろな方に「お疲れ様」と言っていただけるのは、松尾さんのおかげです。松尾さんがいなければ、たぶん僕は今頃「馬鹿野郎!金返せ!」と言われていたでしょう。
7人の運営チームの方々には本当に感謝しています。
今回のサミットに来ていただき、もしご満足いただいたと言う方がおられたならば、7人の運営チームメンバーにもぜひ温かいお声がけをいただきたいと思います。
もちろん、その他のスタッフにも感謝したいと思います。
直前ギリギリまで細かい対応をしていただいた鈴木監事、分刻みの厳しいスケジュールの中、少しだけでもと前々日のミーティングに来ていただいた藤代さん、難しい立場ながら多くの時間をサミットのために割いていただいた野崎耕司さん、そして事故的に巻き込まれてキツイ役割を与えられながら、笑顔でこなしてくれた小川諒くん・・・。
会場をお貸しいただいたCCCのみなさんや、懇親会場となったカフェで美味しいお料理を提供してくださったみなさん含め、とにかくすべてのスタッフに感謝感謝感謝です。
もちろん登壇者の方々、ご来場いただいたすべてのみなさんにもお礼を申し上げたいと思います。
お忙しい中、海のものとも山のものともわからぬ生まれたての団体が主催するイベントにお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
至らぬ点も多々あったかと思いますが、こちらに懲りず、これからも見守っていただければ幸いです。
ありがとうございました。
本当にありがとうございました。
2010年02月14日
非効率バスターズ。電話を極力減らせ!紙で議事録作ろうとするな!!
非効率を改めようという企画です。
@電話かける回数を極力減らそう
特に社内の内線電話というやつです。
これがかかってくるたびに作業をしていた手とアタマがとまり、再び作業をするアタマになるために余分な時間がかかってしまいます。
自分にかかってくる電話ならまだしも、となりのデスクの人にかかってくる電話なんかに対応する場合は最悪です。
作業をとめて、電話に出て「○○さんはいませんよ」「じゃあ△△から電話があったと伝えてくさい」「わかりました」というやりとりをして、「△△さんから電話がありました」というメモを書いて、となりのデスクに置いて、何の作業をしていたかな、と考え直す。
この間、社員ふたり分の人件費が発生しているというのは非効率極まりない。
すぐに改めるべきです。
あと、携帯電話も良くない。
よほどの緊急の用事ならともかく、しょうもない用事を携帯電話で伝えるのほど非効率なことはないです。
あるセミナーで登壇させていただいているときに携帯電話に着信があったので、よほど緊急の用事なのかと、僕のパートが終わった後にあわててコールバックをすると「あしたの打ち合わせの会議室を手配して、みんなにメールして欲しい」とのこと。
なんだそりゃ。
これらの非効率に対処する方法は「電話に出ない」それができないのであれば「電話から離れる」ということに尽きると思います。
僕も先ほどの会議室手配の人の電話には出ないようにしています。
電話というツールは、ふたつの性質を持っていると思います。
ひとつめは、会話(声)でコミュニケーションできること。
ふたつめは、相手を、その人の都合に関係なく無理やり自分の仕事に巻き込んでしまえること。
非効率の原因は、このうち、ふたつめの性質にあると思います。ふたつ目の性質は、電話を、緊急性が高い用件を伝えるためには非常に強力なツールにしていますが、反面、緊急性が低い用件を伝えるという用途には不向きなツールにしてしまっています。
あと、ひとつめの性質に関連して、ログが残らないというのも電話が持つ非常に大きな特徴です。
これはいい面もあるのですが、仕事の用件を伝える場合には大きな障害でしょう。
自分のことを振り返ってみれば、僕が仕事でかける電話・かかってくる電話のほとんどはメッセを使ったほうが効率的だと思います。
電話の回数を極力減らしましょう。
A議事録を作るための紙へのメモはやめよう
議事録なり、講演録なり、そういうものをつくるために紙にメモをするのはやめようということです。
ひょっとしたら、そんなことをやっているのは僕の周りだけなのかもしれませんが、とにかくそういうことです。
会議や講演に参加して、それを一生懸命ノートにメモして、デスクに帰ってそれをワードに打ち直して、関係者にメールで送る。
非常に無駄です。
ひょっとしたら、そんなことをやっているのは僕の周りだけなのかもしれませんが、とにかくそういうことです。
これの問題点はふたつあります。
ひとつめは、ノートにメモする時間とワードに打ち直している時間の両方に人件費が発生していること。
もうひとつは、会議や講演から、ワードに打ち直すまでの間に時間の開きがあったとき、その作業は後回しにされがちだということです。
んで、大抵、そういうのは後回しにされるので、結局議事録や講演録が共有されるのは、会議や講演が終わってだいぶ経ってからになるか、共有されないかのどちらかです。
ですから紙でこういうことをするのはやめましょう。
紙というツールは議事録や講演録を作るという用途には非常に不向きです。
ひょっとしたら、そんなことをやっているのは僕の周りだけなのかもしれませんが、とにかくそういうことです。
僕の周りには、会議や講演にパソコン(やポメラなど)を持ち込ませずに、「議事録や講演録は会議や講演から時間が経たないうちに作れ!」と言う人が多いのですが、前提が間違っていると思います。
パソコンを持ち込んでいない会議・講演で議事録や講演録は作れません。
最初からそういうふうに割り切らねばなりません。
ひょっとしたら、そんなことをやっているのは僕の周りだけなのかもしれませんが、とにかくそういうことです。
ほかにもいろいろあると思うので、思いついたらまた書きます。
@電話かける回数を極力減らそう
特に社内の内線電話というやつです。
これがかかってくるたびに作業をしていた手とアタマがとまり、再び作業をするアタマになるために余分な時間がかかってしまいます。
自分にかかってくる電話ならまだしも、となりのデスクの人にかかってくる電話なんかに対応する場合は最悪です。
作業をとめて、電話に出て「○○さんはいませんよ」「じゃあ△△から電話があったと伝えてくさい」「わかりました」というやりとりをして、「△△さんから電話がありました」というメモを書いて、となりのデスクに置いて、何の作業をしていたかな、と考え直す。
この間、社員ふたり分の人件費が発生しているというのは非効率極まりない。
すぐに改めるべきです。
あと、携帯電話も良くない。
よほどの緊急の用事ならともかく、しょうもない用事を携帯電話で伝えるのほど非効率なことはないです。
あるセミナーで登壇させていただいているときに携帯電話に着信があったので、よほど緊急の用事なのかと、僕のパートが終わった後にあわててコールバックをすると「あしたの打ち合わせの会議室を手配して、みんなにメールして欲しい」とのこと。
なんだそりゃ。
これらの非効率に対処する方法は「電話に出ない」それができないのであれば「電話から離れる」ということに尽きると思います。
僕も先ほどの会議室手配の人の電話には出ないようにしています。
電話というツールは、ふたつの性質を持っていると思います。
ひとつめは、会話(声)でコミュニケーションできること。
ふたつめは、相手を、その人の都合に関係なく無理やり自分の仕事に巻き込んでしまえること。
非効率の原因は、このうち、ふたつめの性質にあると思います。ふたつ目の性質は、電話を、緊急性が高い用件を伝えるためには非常に強力なツールにしていますが、反面、緊急性が低い用件を伝えるという用途には不向きなツールにしてしまっています。
あと、ひとつめの性質に関連して、ログが残らないというのも電話が持つ非常に大きな特徴です。
これはいい面もあるのですが、仕事の用件を伝える場合には大きな障害でしょう。
自分のことを振り返ってみれば、僕が仕事でかける電話・かかってくる電話のほとんどはメッセを使ったほうが効率的だと思います。
電話の回数を極力減らしましょう。
A議事録を作るための紙へのメモはやめよう
議事録なり、講演録なり、そういうものをつくるために紙にメモをするのはやめようということです。
ひょっとしたら、そんなことをやっているのは僕の周りだけなのかもしれませんが、とにかくそういうことです。
会議や講演に参加して、それを一生懸命ノートにメモして、デスクに帰ってそれをワードに打ち直して、関係者にメールで送る。
非常に無駄です。
ひょっとしたら、そんなことをやっているのは僕の周りだけなのかもしれませんが、とにかくそういうことです。
これの問題点はふたつあります。
ひとつめは、ノートにメモする時間とワードに打ち直している時間の両方に人件費が発生していること。
もうひとつは、会議や講演から、ワードに打ち直すまでの間に時間の開きがあったとき、その作業は後回しにされがちだということです。
んで、大抵、そういうのは後回しにされるので、結局議事録や講演録が共有されるのは、会議や講演が終わってだいぶ経ってからになるか、共有されないかのどちらかです。
ですから紙でこういうことをするのはやめましょう。
紙というツールは議事録や講演録を作るという用途には非常に不向きです。
ひょっとしたら、そんなことをやっているのは僕の周りだけなのかもしれませんが、とにかくそういうことです。
僕の周りには、会議や講演にパソコン(やポメラなど)を持ち込ませずに、「議事録や講演録は会議や講演から時間が経たないうちに作れ!」と言う人が多いのですが、前提が間違っていると思います。
パソコンを持ち込んでいない会議・講演で議事録や講演録は作れません。
最初からそういうふうに割り切らねばなりません。
ひょっとしたら、そんなことをやっているのは僕の周りだけなのかもしれませんが、とにかくそういうことです。
ほかにもいろいろあると思うので、思いついたらまた書きます。
2010年01月02日
おもしろい番組の話。
最近テレビにはまっています。
11月に大きなテレビを買って以来、毎日テレビに釘付けです。
最近のテレビ番組は面白くない、というのをよく聞きますが、いやいや、まだまだ面白い番組はたくさんあります。
そんな中でもピカイチの面白い番組が、
ファ見る! - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E8%A6%8B%E3%82%8B!
「ファミリー劇場」の番宣番組なのですが、番宣番組とは思えない面白さ。
MCの別府あゆみさんがゲストのアニメキャラから出されるチープなむちゃぶりに答えていく、というのがメインの内容なのですが、別府さんのキャラクターが非常に際立っていて毎回笑い転げてしまいます。
1月の『ファ見る!』ではギャオス内藤さんと「ぐるぐる旗取り対決」「百円ライター一発着火対決」「亀レース対決」を行ったのですが、普段標準語の別府さんが大阪弁丸出しで対決にのめりこんでいて、思わず夜中にひとりで笑ってしまいました。
別府あゆみさんといえば、多分そこそこ苦労をされていまのご活躍があるかと思うのですが、そんなことを感じさせない明るさ。これは彼女の持つ素のキャラクターで、この明るさがあればこそ成功されているのだと思います(この素のキャラクターのまま出演された『魔法戦隊マジレンジャー』で、別府さん演じるピンクが「怪人が出てくるのを毎週待ってないでこっちから攻めて行けばいいのよ」と言ったセリフが印象的です。このセリフに彼女の性格が象徴されていると思います)。
そんな別府あゆみさんが番組の中で泣いたことがあります。
去年だったと思うのですが、離れて暮らすお母様から手紙が届いた時です。
ゲストののび太のお母さん(だったと思います)が読むその手紙は感動的で、普段笑顔を崩さない別府さんも思わず涙。のび太のお母さんは続けます。
「実はスタジオにこの方に来ていただいております。」
その言葉に驚く別府さん。まさか!と思ったときスタジオに入ってきたのは、別府さんのお母さんの偽者。
「ちがうー!!!!」
大声で叫ぶ別府さん。それまでのしんみりした雰囲気が台無し。
毎回こんな感じの『ファ見る!』。
視聴可能な方はぜひ見てみてください。
11月に大きなテレビを買って以来、毎日テレビに釘付けです。
最近のテレビ番組は面白くない、というのをよく聞きますが、いやいや、まだまだ面白い番組はたくさんあります。
そんな中でもピカイチの面白い番組が、
ファ見る! - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E8%A6%8B%E3%82%8B!
「ファミリー劇場」の番宣番組なのですが、番宣番組とは思えない面白さ。
MCの別府あゆみさんがゲストのアニメキャラから出されるチープなむちゃぶりに答えていく、というのがメインの内容なのですが、別府さんのキャラクターが非常に際立っていて毎回笑い転げてしまいます。
1月の『ファ見る!』ではギャオス内藤さんと「ぐるぐる旗取り対決」「百円ライター一発着火対決」「亀レース対決」を行ったのですが、普段標準語の別府さんが大阪弁丸出しで対決にのめりこんでいて、思わず夜中にひとりで笑ってしまいました。
別府あゆみさんといえば、多分そこそこ苦労をされていまのご活躍があるかと思うのですが、そんなことを感じさせない明るさ。これは彼女の持つ素のキャラクターで、この明るさがあればこそ成功されているのだと思います(この素のキャラクターのまま出演された『魔法戦隊マジレンジャー』で、別府さん演じるピンクが「怪人が出てくるのを毎週待ってないでこっちから攻めて行けばいいのよ」と言ったセリフが印象的です。このセリフに彼女の性格が象徴されていると思います)。
そんな別府あゆみさんが番組の中で泣いたことがあります。
去年だったと思うのですが、離れて暮らすお母様から手紙が届いた時です。
ゲストののび太のお母さん(だったと思います)が読むその手紙は感動的で、普段笑顔を崩さない別府さんも思わず涙。のび太のお母さんは続けます。
「実はスタジオにこの方に来ていただいております。」
その言葉に驚く別府さん。まさか!と思ったときスタジオに入ってきたのは、別府さんのお母さんの偽者。
「ちがうー!!!!」
大声で叫ぶ別府さん。それまでのしんみりした雰囲気が台無し。
毎回こんな感じの『ファ見る!』。
視聴可能な方はぜひ見てみてください。
2009年11月12日
パブリックリレーションズ≠クライアントリレーションズの話。
ある人に「いいPRの事例ない?」てなことを聞かれたので、いくつか探してごしょうかいしたのでありますが、いろいろ探しているうちに「いいPRの事例てなんだ?」という根元的な疑問を抱いてしまったのであります。
代理店の方々が集まる勉強会なんかの事例紹介では、「クライアントにご満足いただき…」という言葉をよく聞くのですが、なるほど、クライアントにご満足いただけたかどうかというのは、それがいい事例であるかを判断する上で重要な要素でしょう。
しかしながら、それは必要条件ではあっても十分条件ではないとも思います。
特に近年において以下のことが言えると思うのですが、クライアントだけでなく、生活者にご満足いただけたかどうかというのも、それがいい事例であったかどうかを決める重要な要素だと感じます。
PR活動の目的として、しばしば「効率よく情報発信を行い、認知を高める」といったようなことが掲げられがちですが、本来であれば、その先に「それを通して生活者などとの良好な関係を築く」というのがあるはずです。
いくら効率のよい情報発信が行えたとしても、それが生活者の不利益につながっていれば、それは悪いPRの事例だと思います。
PRの成果報告として、リーチだの広告費換算だのといったようなものが使われますが、生活者満足度という要素が入っていないこういった指標だけでは、それがいいPRだったかどうかはわからないはずです。
PRはパブリックリレーションズ。決してクライアントリレーションズではありません。
クライアントも生活者も含めたパブリックとのリレーションズでなくてはならないと思います。
代理店の方々が集まる勉強会なんかの事例紹介では、「クライアントにご満足いただき…」という言葉をよく聞くのですが、なるほど、クライアントにご満足いただけたかどうかというのは、それがいい事例であるかを判断する上で重要な要素でしょう。
しかしながら、それは必要条件ではあっても十分条件ではないとも思います。
特に近年において以下のことが言えると思うのですが、クライアントだけでなく、生活者にご満足いただけたかどうかというのも、それがいい事例であったかどうかを決める重要な要素だと感じます。
PR活動の目的として、しばしば「効率よく情報発信を行い、認知を高める」といったようなことが掲げられがちですが、本来であれば、その先に「それを通して生活者などとの良好な関係を築く」というのがあるはずです。
いくら効率のよい情報発信が行えたとしても、それが生活者の不利益につながっていれば、それは悪いPRの事例だと思います。
PRの成果報告として、リーチだの広告費換算だのといったようなものが使われますが、生活者満足度という要素が入っていないこういった指標だけでは、それがいいPRだったかどうかはわからないはずです。
PRはパブリックリレーションズ。決してクライアントリレーションズではありません。
クライアントも生活者も含めたパブリックとのリレーションズでなくてはならないと思います。
2009年10月08日
広告だから、記事だから、ではない話。
広告が見られなくなった、というのはよく聞きます。
ではパブリシティは見られているのでしょうか?
広告は見られてなくて、パブリシティが見られている、ということは決してないと僕は思いますね。
特にウェブなんかではそうでしょうね。
ウェブではプレスリリース丸写しの記事なんかが「ニュース」として掲載されているかと思えば、ちょっと気になるデータや占いなんかが「広告企画」として掲載されていたりすることが多いような気がします。
これ、どちらのほうが多くの人にメッセージを届けられるでしょうね。
例を挙げます。
「○×株式会社よりひざかけが新発売」
という見出しのニュース記事(パブリシティ)と、
「寒くなるこれからの季節。あなたの冷え性レベルをチェック」
という広告企画、どちらがよりクリックされるでしょうか?
パブリシティを生業とするPRパーソンにとって
「広告のように企業から直接伝えるのではなく、編集と言う第三者の目を通して書かれたパブリシティ記事は、より信頼性が高く、多くの人に接触されるのです」
というのは切り札的台詞です。
しかしながら、最近はそうでもないケースが増えてきたように思います。
大切なのは多くの人に接触されるようなコンテンツをつくる、というところではないでしょうか。
多くの人に好まれるようなコンテンツさえ作れていれば、それが広告だとか記事だとかそういうのは関係ないのではないでしょうか。
これはウェブだけではなくテレビとかにも言えることだと思います。
多くの人に好まれるコンテンツさえ作れていれば、広告のメッセージは十分に視聴者に届くと思います。
コマーシャルを早送りしてる最中でも「♪噛むとふにゃんふにゃんふにゃんにゃにゃんふにゃん〜」が一瞬出てくると、早送りボタンを止めて見てしまいますものね。
逆に番組の中で見るに耐えないようなパブリシティが出てきてうんざりすることもあります。
CMだからウザいと思われる、番組だからウザいと思われない、ということでなく、コンテンツがウザいと思われるか、おもしろいと思われるかということなんだと思います。
そう言えば何年か前に「テレビCMを見ましょう」というCMがありましたが、あんなことをやらなくてもおもしろいCMはちゃんと届いてると思います(※)。
逆にウザいパブリシティは視聴者に届かない、というのも気に留めておくべきだと思います。
(※)
その「テレビCMを見ましょう」というCMは、コンテンツが実にウザかったという記憶があります。
おもしろくないギャグを言って「笑え!」と強要したり、視聴者を見下したような鼻歌を歌ったりするキャラクターがとにかく不評で、2ちゃんねるの実況とかでもボコボコに叩かれてましたっけ。「CMのウザさの象徴」みたいな感じで。
にもかかわらずそのCMが賞を獲ったりとかして、なんだかさむい内輪盛り上がりだなあと思った記憶があります。
ではパブリシティは見られているのでしょうか?
広告は見られてなくて、パブリシティが見られている、ということは決してないと僕は思いますね。
特にウェブなんかではそうでしょうね。
ウェブではプレスリリース丸写しの記事なんかが「ニュース」として掲載されているかと思えば、ちょっと気になるデータや占いなんかが「広告企画」として掲載されていたりすることが多いような気がします。
これ、どちらのほうが多くの人にメッセージを届けられるでしょうね。
例を挙げます。
「○×株式会社よりひざかけが新発売」
という見出しのニュース記事(パブリシティ)と、
「寒くなるこれからの季節。あなたの冷え性レベルをチェック」
という広告企画、どちらがよりクリックされるでしょうか?
パブリシティを生業とするPRパーソンにとって
「広告のように企業から直接伝えるのではなく、編集と言う第三者の目を通して書かれたパブリシティ記事は、より信頼性が高く、多くの人に接触されるのです」
というのは切り札的台詞です。
しかしながら、最近はそうでもないケースが増えてきたように思います。
大切なのは多くの人に接触されるようなコンテンツをつくる、というところではないでしょうか。
多くの人に好まれるようなコンテンツさえ作れていれば、それが広告だとか記事だとかそういうのは関係ないのではないでしょうか。
これはウェブだけではなくテレビとかにも言えることだと思います。
多くの人に好まれるコンテンツさえ作れていれば、広告のメッセージは十分に視聴者に届くと思います。
コマーシャルを早送りしてる最中でも「♪噛むとふにゃんふにゃんふにゃんにゃにゃんふにゃん〜」が一瞬出てくると、早送りボタンを止めて見てしまいますものね。
逆に番組の中で見るに耐えないようなパブリシティが出てきてうんざりすることもあります。
CMだからウザいと思われる、番組だからウザいと思われない、ということでなく、コンテンツがウザいと思われるか、おもしろいと思われるかということなんだと思います。
そう言えば何年か前に「テレビCMを見ましょう」というCMがありましたが、あんなことをやらなくてもおもしろいCMはちゃんと届いてると思います(※)。
逆にウザいパブリシティは視聴者に届かない、というのも気に留めておくべきだと思います。
(※)
その「テレビCMを見ましょう」というCMは、コンテンツが実にウザかったという記憶があります。
おもしろくないギャグを言って「笑え!」と強要したり、視聴者を見下したような鼻歌を歌ったりするキャラクターがとにかく不評で、2ちゃんねるの実況とかでもボコボコに叩かれてましたっけ。「CMのウザさの象徴」みたいな感じで。
にもかかわらずそのCMが賞を獲ったりとかして、なんだかさむい内輪盛り上がりだなあと思った記憶があります。

